のれんさん
俺は手洗い以外は受け付けないよ?
せんたっきってアレだろ?すげえ回されるらしいじゃねえか、やだよそんなの
まあ、そんなにしょっちゅうは洗ってもらえないけどな
だってよ、マスターの野郎も大変だろう?あんまり無理言っちゃいけないよ
客がさ、俺で指をちょちょっと拭いていくのも我慢だよ我慢、やだけどな
このご時世にせっかく来てくれんだぞ、愛想よくしねえとな
え?
ああ、今日は暗い曇り空だなあ
なんか今よ、コウサってやつが来てるらしいじゃねえか
え!?砂なのか?
そんなん俺汚れるじゃねえかよ
嫌だなあ
もうアイツもいなくなっちまったしよ、外は寂しいんだよなあ
そういえば、お前アイツのこと結構アレだったろ?形も似てるしよ
俺知ってたんだよ、へっへっへっ
なんだよ、怒んなよ
なあ、またいつか会えるさ
そういえば、割れちまった植木鉢の野郎もどこに行ったんだろうなあ
バアさんもよ、こないだ車に乗せられて・・・
なんかよ、さっきから変な音が聞こえないか?
え?これしょうゆの野郎の鼻唄か?
どっかでなんかが壊れてんのかと思ったぞ
まあ機嫌が良いのはいいことだけどな
お、開店か
じゃあお前ら、また後でな
おうマスター、今日は俺のこと仕舞うの忘れないでくれよな
いや、しかしあの野郎、歌ヘタだなあ
(・´з`・) 正解ってなんだべな? (・´з`・)
千円
(・´з`・) ⇦ これってどんな顔に見える?
前回のブログで、ドラマを見た後にこんな顔になったって書いたのね。
自分では「なんだそりゃー」って感じのね、ブーブー言ってるイメージの顔文字として使ったんだけど、後から見たら「うーん、これ美味しい💗」って感じのほんわかしてる顔に見えちゃって悩んでます。
パソコンの使い方がよく分かんなくて、スマホの顔文字みたいにジャンル分けしてある所から選んだわけじゃないしな。
結局、この顔文字はどの解釈が正解なんだべか?
オバちゃんハイテクはよく分かんないわあ。
若い頃は自分の母親にさ、携帯だのDVDだのの説明する時に「覚える気がないから覚えられないんだよ!」ってよく怒ってたけど、今や自分がその立場だわ。
後で電話かけて「20年前のアレ、ごめんね☆ミ」って謝ろう。
ブログのやり方の説明も、何回読んでも理解できないし。
多分、私みたいなおバカでも理解できるようにと、懇切丁寧に説明して下さってるんだけど、説明文が右から左に脳の上を滑っていくのが自分で分かるの。
ツルンって。
アトラクションみたいに、説明文がね、私の脳のツルツルした表面をね、わーい!って滑って通り過ぎていくの・・・
書いてて悲しくなってきた・・・
このはてなブログも分からないことだらけで、始めたのは数年前だけど、未だに使い方も他の方のブログの見つけ方もよく分かんないのです。
交流の仕方も正解が分かんなくて、相手方の気分を害していないかしらと、いつもドキドキしております。
マナー違反な行動があったら、叱ってくれるととても有難いです。
正直、ネット上の交流って今までしたことがなくて、初心者なりにTwitterも頑張って始めてみたんだけど、使い方が分からさなすぎて消してしまったよ・・・
使い方もだけど、楽しさが分からんかったわあ。
ラインはママ友との連絡にしか使わないし、ホントにもっと勉強しておくんだったと後悔中でございます。
長年客商売をやってるから、人と面と向かって話すのは大得意なの。
上っ面の接客トークって言われたら、確かにそうではあるけれどもさ、いくらでも話していられるの。
得られるものも多いしね、当たり前の話だけど、一人一人に人生があるって実感できるのがすごく好き。
老若男女、色んな人がいるよね。
人に気を遣いすぎる人から遣わなさすぎる人、ポイントが一風変わってる人とか。
怒ってるお客さんを宥めるのは未だに気が重いけどねえ。
でもそういうのって、オバちゃんの役目かしらと思って収めに行くのよ、嫌だけど。
そういえば、1回だけお客さんに土下座したことがあったわ。
それほど苦じゃなかったけど、果たしてあれで正解だったのかなあ。
あのお客さん、今もどこかで元気にしてるかしら。
お客さんとのやり取りと違って、ネットの交流は私には難しすぎるのです。
なんでなんだろう?感情の気配を感じることができないから?
でも頑張る。
最近ね、自分の興味のあるグループを探すことを覚えたの!
大人になった!階段を1段上ったよ!
まずね、「福島県」のグループを見つけて入って、旅する箱と居酒屋さんを巡る詩を書きたいから「詩」のグループに入って、漢検を受け続ける予定だから「日本語」のグループにも入りました~。
こういうのって言っちゃっても良かったのかなあ?
ネットのマナーが分かりま千円。
・・・・・・
そういえば福島県民の皆さん、聖火リレーについて周りの人と井戸端したりしてる?
私は日程もよく分かってなかったのよ。お恥ずかしい。
有名人の辞退祭りが止まらない感じだったから、中止になるんだとばっかり思ってたの。
やったねえ。
これについても私なんかには正解は分からないけどさ、批判もされてるけど、やっぱり明るい話題はいいと思うの。
聖火リレーのニュースを見てて、自然とニコニコしちゃってたもの。
明るい、楽しい話題を欲してるんだと、しみじみ思ったわ。
良い所を探そうよ。
暗い話題と批判ばっかりで、テレビを見る気にもなれないわ。
さーて、明日も歌って踊ってやかましい母ちゃんでいよう。
そろそろお米を研がなきゃいけま千円。
昨日の地震と今日のドラマ
不動の1位はすき焼きDESU
昨日の地震も大きかったね。
ケガはしてませんか?
大事な物は壊れてませんか?
心は大丈夫ですか?疲れてない?
津波は来なかったようで、ホッとしました。
でも地震ばっかりで嫌になっちゃうね。
うちはちょうど夕飯を食べ始まったところでさ、しゃぶしゃぶだったからね、食いしん坊家族だから待ちきれなくて、いつもの食事時間より早めに始まったのよ。
牛肉をしゃ~ぶしゃ~ぶして、美味しそうに色が変わって、ポン酢につけて、いざ!お口へ!!
おいでませ肉!!
いっただっきま~・・・
テレビ「ダランダランダランッ!!ダランダランダランッ!!」
スマホ「ヴィッヴィッヴィッ!!ヴィッヴィッヴィッ!!緊急地震速報デス」
(注)私にはこう聞こえます。
ホントにドラマみたいよ。
こんなタイミングってあるのね。
私は、え~お肉~!とかぶつくさ言いながら揺れ具合を推し量り、どうやら大きくなりそうなのでカセットコンロの火を消し、台所にミトンを取りに行き、鍋が通りまーす!と言いながら熱々のお出汁が入った鍋を台所に持っていき、こぼれないように蓋をして、お肉食べたいよ~、と揺れが収まるのを待っておりました。
父ちゃん(旦那)は、何かが落ちる程じゃねえな、とテレビを軽く押さえながらミシミシ言う家の様子を観察し、チビ次郎(犬)はワンワン走り回って大騒ぎをし、チビ太郎(人間)は微動だにせずモグモグと美味しくお肉を頂いておりました。
なんかね、もうさあ、うちの子、地震に慣れすぎてないかい?
こんな緊張感なくて大丈夫なのかしら。
震度4以下は気にしないぐらいの感覚よね、動じなさすぎて心配になるわ。
福島だけじゃないだろうけど、子供達って311の震災以降は地震があるのが当たり前っていうか、地面って揺れるものだよね?っていうか、揺られながら育ってきたっていうか、口すっぱく地震について教育されてきたのもあって、大人より冷静だったりしないかい?
でも冷静なのはとても大事なことだけどさ、震度5の揺れの中で美味しくお肉を頂いてるのはどうなのよ、と母ちゃんは思うわけでございます。
育て方間違ったかなあ?
先月の震度6の時は、チビ太郎(人間)は階段を上ってる途中だったらしく、揺れ初めたあたりで素早く自分の部屋に入ってじっとしてたらしい。
落ちてくるものは何もない部屋だから、それで正解でいいんだよね?
あの時はドンッって揺れてからスマホの緊急地震速報が鳴ったよね。
私はチビ次郎(犬)と一緒にいて、ワンワン騒いでるのを「大丈夫だよー」なんて宥めてたんだけど、どんどん揺れが大きくなってって、311の時と同じような、表現し難いような音が鳴って、あれ?これって6いっちゃうんじゃない?って壁にかかったままグワングワン揺れる時計を見ながら思ったっけなあ。
チビ次郎(犬)は、あんな大きい地震を経験するのは初めてだから、私に抱っこされたままブルブル震えてたな。可哀想に。
父ちゃん(旦那)はあの時はまだリビングにいて、家電を押さえてたみたい。
下敷きになる可能性があるから、それって本当はダメみたいだね。
昨日の地震で改めて思ったけど、震度5はまだ歩けるけど、震度6は無理だわ。
歩けない。
だけど、妙に頭は冷静だったりするのよね。
さすがにお肉は食べられないけど。
なんか取っ散らかった文章を取り留めもなくダラダラ書いてしまったけど、何を言いたかったかというと、一番いいお肉を一番最初にしゃぶしゃぶしてしまって、揺れが収まって再び食べ始まった時には、ポン酢に浸されてすっかり冷た~くなってたのが悲しかったのでございます。
そして・・・たった今、天国と地獄というドラマを見終わったのだけど・・・
(・´з`・)(・´з`・)
父ちゃん(旦那)と2人でこんな顔になっております。
10年目の震度6
直す気なくなる壁のヒビ
2月13日夜。
またきたね、大きな地震が。
大丈夫だった?
ケガはしなかった?家は無事だった?大事なものは壊れなかった?
まさか、またあんな大きさの地震がくると思わなかったよ。
10年も経ってるのに。
なんか最近地震多くない?って家族で話したばっかりだったわ。
多かったよね?
そして今は余震が多い。
我が家は誰もケガなどはしなかったけど、壁にヒビが入ったよ。
もうガッカリだわ。
3.11の時に家中の壁がヒビだらけになっちゃってさ、一生懸命お金をやりくりして修理したわけなのよ。
地震保険には入ってなかったからね。
3.11後は余震も多かったし、業者さんもスケジュールみっちりで、お宅の順番が近くなったら連絡しまーすって言われて1年音沙汰無しとか、そんなんが当たり前だったからすぐには修理はしなかったの。
そっちこっちの家の屋根にブルーシートと土嚢が乗っかってる光景がしばらく続いたよね。
うちは震災から5年目ぐらいにやっと直したのね。
めっちゃ遅いでしょ、お金が無かったんだよう。
でもお金は大変だったけど前向きに考えてさ、リフォームだと思ってウキウキしながら壁紙とか選んでさ、直したわけだよ。
新築の時に戻ったみたいだねーなんてキャッキャしたっけなあ。
壁紙選ぶのも2回目だから、小さいサンプルで見るのと実際に壁に貼って広い面積で見るのと全くイメージが違ったりするのも知ってるしね、そういうのも踏まえてじっくり選んだりしてさ、楽しかったなあ。
リフォーム後に友達招いたりして、お茶会したり宴会したり・・・
短けえ夢だったなあ・・・
今回の地震で全く同じ所にヒビ、ヒビ、ヒビ・・・
3.11の時ほど酷くボロボロになりはしなかったけど、あの時と同じように東西の壁がやられちゃったよう。
悲しいよう。
ガックリき過ぎて、直す気が起きないよう。
なーんか、地震保険の査定が渋いみたいだしね。
うちはまだ罹災証明の申請もしてないんだけどね。
早くやらなきゃって思ってるよ。思っては、いる。
うん。夏休みの宿題は溜めるタイプでした。
明日時間があったらやろう。
どうせ一部損壊だしなー、とか思っちゃうと面倒くさくなっちゃって。
こんなことがいつまで続くんだろうね。
もう、どこの国でも地域でも大地震なんて起きませんように。
うちげの震災 ~原発から60km地点であっぱとっぱ~③
見にきてくれてありがとうございます。
もし良かったら、①から読んでもらえたら凄く嬉しいです。
「うちげ」は「私んち」という意味です。
「あっぱとっぱ」は「慌てふためく」という意味です。
父で夫で息子で人で
愛しい我が家
ジイちゃん(舅)の死期が静かに迫っていた。
だけどすぐ近くにいても、あんまり実感が無かったの。
父ちゃん(旦那)も、親父は結構長く生きられるんじゃないかって楽観的だったし、私もそう思ってた。
うちのジイちゃん(舅)は、震災の1年ぐらい前にステージ3のガンを宣告されて、手術をしても良くならず、抗がん剤でも良くならず、放射線治療でも良くならず、それでも負けないで治すぞって頑張ってた。
そんな状態の時に、あの大地震がきた。
ジイちゃん(舅)はさ、私達にはニコニコした顔しか見せなかったけど、本当は心も体も相当辛かったんだって。
バアちゃん(姑)との新婚当時、張り切って建てた家が、自分の人生とずっと一緒に生きてきた家が、ひび割れて傾いて、放射能のせいで住めなくなるかもしれないっていう目の前の現実に打ちのめされてたんだって。
新しかった家も、子供達の成長と共にだんだんと古くなっていって、子供達が大人になって巣立って、あちこち直して、今度は元気な孫がやってきて家中ドタバタ走って遊んで、そんな思い入れのある家が壊れていく。
自分の体も、もうダメだとか思ってたのかな。
私達には何も言わなかったんだよ。
何も。
壁にヒビが入った状態の家で葬式なんて、今までずっと頑張って働いてきたジイちゃん(舅)が可哀想だから、キレイな家から送り出したいから、早く家を直さなくちゃってバアちゃん(姑)が泣きながら言っててね。
私は本当におんつぁで、気の利いたことが何も言えなくて、「大丈夫ですよ」とか「まだまだ先の話ですよ」とかしか言えなかった。
だって、本当に元気そうに見えたんだもん。
でも、ジイちゃん(舅)はあの時にはもう、ただ座ってるのも辛い状態だったんだって。
でも、息子家族の前では弱ってる姿は絶対に見せたくなくて、気丈に振舞ってたんだって。
だから、早く自分の家を片付けて戻りたかったみたい。
ダメだ、このあたりは思い出すと少しウルっとしちゃうわ。
選択肢
あなたはあの時、仕事はどうした?
休んだ?辞めた?行った?
最初に爆発したのは土曜日だっけ。
土日が休みの人も仕事の人も、色んな職種の人がいるけどさ。
あの時、とりあえずみんな出勤した?
「会社が休んでいいって言わないから」
「休んだらクビになるから」
こんなことを言いながら仕事に行く人も多かったよね。
でも、福島に住めなくなるかもしれない、外に出て放射能を浴びて命がどうなるか分からない、そんな状況の中で仕事に行った1番の理由って、やっぱり「責任感」だと思う。
休むわけにはいかない、自分が休んだら迷惑がかかる、止めるわけにはいかない仕事だから、色んな責任を背負ってみんな仕事に行ったよね。
どんな時でも仕事に行く真面目な日本人とか色々言われてたけど、まぁ真面目だよね。
死の街になるとか、福島から逃げない人は頭おかしいとか言われながらも、放射能が降り注ぐ中、みんな仕事に行ったんだよ。
私達が暮らしてた街は、逃げるも残るも自分で考えて決めてねって場所だった。
どうすればいいのか、どの選択肢が正解なのか分からなかった。
嘘か本当か分からない、色んな情報が飛び交ってたよね。
テレビを見ると2~30km圏外は大丈夫って言ってるし、ネットを見ると福島にはもう人は住めないって書いてあるし、何を信じればいいのか分からなかった。
自分達で考えて決めるしかなかった。
「無知は罪」って言葉が頭に浮かんだの。
無知が恐怖を生むんだ。
よく分からないから怖いんだ。
でも、それまで何も知ろうとしてこなかったのに、付け焼刃で知識を得ようとしたって、嘘と誠を見抜く目なんて私は持ってなかったよ。
13日だったかな、幼稚園から電話がきて、いつまでかは分からないけど、しばらく休園することになったので荷物を取りにきて下さい、と言われた。
当然だけど、誰にもチビ太郎のお世話をお願いできる状況じゃないので、仕事を休むことにした。
私は、あるサービスを提供する仕事に従事しててね、今回のコロナでもそうだけど、緊急時には必要ないって判断されがちな業種なんだ。
この時もお客さんは来なくなった。
店長に電話したら、私と同じように一人で留守番ができない年齢の子供がいる女性スタッフは、みんな休むことになったと言われた。
来れるようになったら来てねーって明るく言われて、ひたすら謝って電話を切った。
仲の良い同僚に電話したら、子供と一緒に関東に行くから仕事は辞めるかもしれない、とのことだった。
もう会えないかもしれないけど、お互い元気で子供を守ろうねって励ましあった。
みんな不安だった。
不安だったよね。
食べて、眠って、生きる
あっという間にお店から品物が消えた。
原発が爆発する前は、だいたい1週間ぐらいでお店の品揃えは回復するかなって隣の奥さんと話してたのに。
たった1日で、遠い昔にした会話のような感覚になったよ。
いつものベニマルに、元通りの光景が戻ることなんて無いんじゃないかって思った。
私は本当にだらしなくてさ、食材も消耗品も無くならないと買いに行かないタイプでね、こういう時に、食べ物とかトイレットペーパーとか洗剤なんかが無いって焦っちゃうの。
今は、ある程度はストックするようになったけどね。
対照的にバアちゃん(姑)は買いだめするタイプだったから、5人家族がしばらく食べていけるだけの食料はあったの。
本当にありがたかったなぁ。
バアちゃん(姑)には足を向けて寝られないよ。
みんなでテレビを見てたら、福島に行くことを物流会社が拒否しているってニュースが流れた。
なんとかしてモノを運ぶから待っててくれって、誰か政治家が言ってた。
それは、とてもありがたいんだけれども。
いつまで?
いつまで待ってればいい?
そもそも福島にいてもいいの?
そのまま住んでても、ただちに影響はないっていうけどさ、いずれは出てくるってこと?
こんなことを言いながらテレビを見てたけど、家族の誰もハッキリした結論を言い出さないまま、なんとなく時間が過ぎていったの。
ハッキリさせるのが怖いっていうのもあったのかな。
ハッキリしないまま13日はみんなで協力して2件の家を片付けて、余震を怖がるチビ太郎をなだめて、ジイちゃん(舅)の体を気遣った。
あんまりにも余震が多くて、なんか常に体が揺れてるような感覚があったなぁ。
混乱の中でも、ジイちゃん(舅)とチビ太郎にはちゃんと栄養のあるものを食べさせないといけないよねって話し合って、少ない食材でも肉と野菜は食卓に並べた。
先のことが不安で仕方なくても、夜はみんなで早めに床についた。
料理ができる環境があって、お風呂に入れて、ベッドで眠れる。
それまで当たり前だと思ってた環境に感謝したよ。
なんて恵まれてるんだろう。
避難所で生活することを余儀なくされている人達のニュースを見て、言葉で言い表せない感情であふれた。
なんて無常なんだろうと思った。
大切な家族や家を失った人もきっといるだろう。
どうかせめて、あの人達がご飯を沢山食べられますように、そう願った。
夜は熟睡できないかもしれないけれど、せめてご飯は食べられますように。
辛くても、食べて命を繋いでほしい。
私達も、しっかり食べてしっかり眠る、訳が分からない状況の中でも、これは守ろうと思ってた。
じゃないと、いざという時に心も体も動けないから。
そして14日の朝、ジイちゃん(舅)とバアちゃん(姑)は自分たちの家に帰った。
その日、福島原発の3号機が爆発した。
止まらない現実
どうしよう、どうすればいい?
テレビとネットは相変わらず正反対のことを言ってる。
ーただちに影響はありませんー
ー福島は人が住める所じゃなくなったー
ー慌てず落ち着いて、洗濯物はしばらく外に干すのは控えて下さいー
ー東日本から早く逃げろ!-
ー換気扇を使うのは、しばらく控えた方がいいでしょうー
ー外国人はみんな帰国してるぞ!ー
どっちを選ぶにしても、腹をくくるしかない。
福島から出たくはないけど、国から避難しろって言われたら出ていくしかないよね。
バアちゃん(姑)に電話をして、いつ避難命令が出てもいいように、荷物をまとめて車に積んでおこうと話をした。
ガソリンスタンドは11日まではそんなに混んでなかったけど、原発事故の後から行列ができた。
私は震災前までは、赤ランプ(言い方古い?)が点いてから3日は乗る派だったのね、あれ結構大丈夫なもんなんだよね。
あの時はたまたま10日にガス欠寸前になったから、ガソリン満タンにしてたの。
だから、見るだけで気力が削がれるスタンドの行列に並ばなくてすんだ。
夕方になって父ちゃん(旦那)が帰ってきて、どうするのか話し合った。
やっぱり福島から避難したら会社はクビになるから、国から指示が出るまでは、ここにいるしかないっていう結論になった。
60kmも離れてるし、テレビに出てる専門家は大丈夫だって言ってるし、大丈夫だよねって言いながら。
情報もさ、大丈夫って言ってる人の言葉しか受け入れようとしなくなるんだよね、こうなってくると。
生来楽観的なのも作用して、んーなんか大丈夫なような気がするわぁ、って気持ちになっていった。
逆に、ダメだ福島はもう終わりだ!って言ってる人の言葉しか受け入れなくなった人もいたりしたよね。
夫婦で話し合ってここに残ろうって決めた次の日の15日、2号機が爆発した。
ニュースを見て楽観的な気持ちも吹っ飛んで、すぐにバアちゃん(姑)に電話して、いつでも逃げられる準備をして下さいって話をした。
そしてチビ太郎に、みんなで少し遠い所へ行く事になるかもしれないって説明したら、子供ながらに何かを察していたみたいですんなり受け入れてくれた。
親戚のおばさんから電話がきて、三春町では40歳以下の人にヨードを配ることになったと聞いた。
夕方、父ちゃん(旦那)が帰ってきてまた話し合った。
やっぱり避難指示が出るまでは父ちゃん(旦那)は残るから、あまりにも放射線量が高くなるようなら、皆を連れて新潟に行ってくれって、そうするしかないのかなって話してたの。
そしたらバアちゃん(姑)から電話がきた。
感情という邪魔なもの
11日からずっと慌ただしいままで、正直みんな疲れてた。
疲れてたんだよ。
本当に。
バアちゃん(姑)からの電話は、たとえ国から命令されたとしても、ジイちゃん(舅)と2人でここに残るという内容だった。
ジイちゃん(舅)はもう長くないから、最後は大好きな自分の家で死ぬって決めたって、そしてバアちゃん(姑)は、大好きなジイちゃん(舅)とどこまでも一緒にいるって決めたって。
自分達のことは気にせずに、あんたたちはチビ太郎のことを一番に考えてちょうだい、そう言われた。
バアちゃん(姑)は電話口で泣いていて、私も切なくなって、とりあえず一旦電話を切った。
どうやって2人を説得して一緒に逃げるか、それを父ちゃん(旦那)と相談しようと思ったの。
バアちゃん(姑)との会話の内容を父ちゃん(旦那)に伝えて、どうやって2人を説得するか、避難した場合のジイちゃん(舅)の病院をどうするかとか、色々と話そうとしたの。
そしたら父ちゃん(旦那)はしばらく黙って考え込んじゃって、私の話は右から左に流れてるような、そんな表情になってた。
あの時チビ太郎はどうしてたっけ?思い出せないな。
しばらくして、ずっと黙って私の話を聞いていた父ちゃん(旦那)が口を開いた。
「俺は親父とおふくろとここに残るから、お前らは好きな所に行け」
ん?
ああ、今のハッキリしない状況だと確かに動きづらいよね。
「いや私もギリギリまで福島にいようとは思うけどさ、もう本当に逃げなきゃいけないってなった場合にジイちゃん(舅)達をどうやって説得しようか、それを考えないと」
「いや、国から逃げろって言われても、親父たちは逃げないで2人であの家で死ぬって言ってんだべ。だったらその時は、俺も親父達とあの家で一緒に死ぬわ」
・・・は??
・・・え??
「・・・私とチビ太郎は?」
「お前は強いからどこでも生きていけっぺ。チビ太郎連れて行きたい所に行け」
「・・・父ちゃん(旦那)は?」
「俺は親父とおふくろを見捨てらんねえ。3人で一緒に死ぬ」
「・・・・・・えーとそれって、私とチビ太郎を捨てるっていうこと?」
父ちゃん(旦那)は、一瞬キョトンとした顔をした。
「・・・・・・・・・そうだな」
「・・・・・・・・・・・・そう」
よし!離婚しよう☆
わーい離婚だぁー☆
本気でそう思いましたよ。ええ。
心の中で罵りましたよ、ええ。もうメチャクチャに。
悲劇のヒーロー気取ってんじゃねえよ、この甘ったれが。
今の時点で全員生きてんじゃねえか、どこのボクちゃんだよこの根性無しが。
自分だけが辛いのか?酔ってんのか?あ?
とてもじゃないけど口に出しては言えない内容。
口にすると、ただの罵り合いになって話が止まっちゃうよね。
心の中でひたすら罵倒してたら、父ちゃん(旦那)が目を赤くしながらまくし立ててきた。
「お前のおふくろさんが親父の立場だったらどうすんだ!うん分かった、じゃあ1人で死んでねってお前はおふくろさんに言うのか!!」
って責めるように言ってきたのね。
ああ、もう根本的な考え方が違うんだわ。そう思った。
「は?引きずってでも連れていくけど?置いていく選択肢も、一緒に死ぬ選択肢も、私の中には無いわ」
またキョトン。
「・・・・・・俺とお前は違う!」
そうですね。
そんな考え方の人間になんて、なりたくもないわ。
そう思った。
あの時は本当に頭にきてたの。
怒りが抑えきれなくて涙が出るくらい。
その後ね、バアちゃん(姑)と2人で話したんだ。
電話だったかな?直接だったかな?
思い出そうとするとジイちゃん(舅)家の玄関ドアが頭に浮かぶから、私があっちの家に行って話したのかな?
ジイちゃん(舅)に聞かれたくないから、玄関口で。
「なんか、父ちゃん(旦那)は親父とおふくろと一緒に死ぬって言ってるんで、父ちゃん(旦那)のことよろしくお願いします。私とチビ太郎のことは捨てるって言われたんで。2人でどっか行けって言われたんで」
多分、めっちゃ早口だったと思う。
バアちゃん(姑)は泣きだして、私の腕をつかんだ。
「ごめんない、ごめんない、私の育て方が悪くてごめんなさい。どうかバカ息子のこと見捨てないでやってちょうだい。私からもあのバカに言うから。ごめんねえ、ごめんねえ」
泣きながら頭を下げるバアちゃん(姑)の頭頂部を見ながら、もの凄い罪悪感と自己嫌悪に襲われた。
なにやってんのよ私。
完全に八つ当たりだ。
弱い立場の人に当たり散らしてる。
最低だ。
人を責められる人間じゃない。
激しく後悔して、バアちゃん(姑)に何度も謝った。
2人で泣いた。
家に帰って、父ちゃん(旦那)ともう一度話し合った。
結局、新潟には行かなかった。
なんかね、考えすぎてバカになっちゃった感じ。
いや、もともとバカだけどもさ。
うちげの近所の人達とか親戚の人達では、避難する人がいなかったんだよね。
「いやー大丈夫だべー(笑)」って、みんなそんな感じだった。
そんな人達と話してると、まぁいっかって気になってくるのよ。
私の同僚と、幼稚園の他のクラスの何家族かが自主避難したけど、大多数はここに残る決断を下した。
私達も。
この何日かは、全員が精神的に追い詰められてたなぁ。
何年か経って、この一緒に死ぬのどうのの話を父ちゃん(旦那)にしたら覚えてなかったのよ。
「えぇー!?なんで俺そんなこと言ったんだべ?わけ分かんねえな!(笑)」
ってこんな感じですよ奥さん。
やーねえ。
父ちゃん(旦那)はあの混乱状態の中で私とチビ太郎の為に仕事に行ってさ、どうしても必要な物の買い物も1人で行って並んで買ってきてくれてた。
きっと心身共に辛かったと思う。
生まれ育った実家も自分が建てた家もひび割れてしまって、そして余命わずかな父親と、寄り添う母親を見て、「息子」に戻ってしまったんだと思う。
私も不安と疲れからくるイライラを、父ちゃん(旦那)にぶつけてた。
ごめんね。
感情で物事を決めようとすると、上手くいかないよね。
感情に振り回されるのは嫌だよ。
自分も人も。
心と体の疲れは、人と人との軋轢を生むということを知ったよ。
家族でもこうなるのに、他人ならなおさら。
疲れ切った状況の中、たった一つのおにぎりで憎み合うことになった人達もいる。
それは次のお話で。
つづく
うちげの震災 ~原発から60km地点であっぱとっぱ~②
来てくれてありがとうございます。
もし良かったら、①から読んでくれたらとても嬉しいです。
「うちげ」は「私んち」という意味です。
「あっぱとっぱ」は「慌てふためく」という意味です。
無知は罪
万能アイテム、それはオムツ
ちっちゃい子って、長靴にハマる時期があるよね。
うちのチビ太郎は、震災の前は雨の日も晴れの日も毎日長靴を履いてたの。
この日も長靴を履いていて、私に抱っこされて幼稚園の駐車場に向かう途中に、片方の足から黄色い長靴が脱げて落ちたのを覚えてる。
近くを歩いてた、他の子のお父さんが拾ってくれたっけ。
なんでもない小さな出来事って、いやに鮮明に覚えてたりしない?
幼稚園からの帰り道も予想通りに渋滞してたっけな。
この頃のチビ太郎は、トイレに行きたくなっても漏れる寸前ギリギリまで我慢して遊んでたの。
小さい子ってみんなそうなのかな?
で、真っ赤な顔してトイレに走っていくの。
駐車場でチビ太郎を車に乗せて、今は緊急事態だから道路がすごく混んでること、父ちゃんと連絡がつかなくて心配だから家に帰る前に父ちゃんの会社に寄ること、トイレに行きたくなってもすぐに行けるか分からないことを説明したの。
だから嫌だとは思うんだけど、トイレに行きたくなったら我慢しないでこのオムツにしてねって。
絶対に嫌がるなって思ってたけど、チビ太郎は真剣な顔で分かったって頷いて、オムツを握りしめてチャイルドシートに乗ったんだ。
あの尋常じゃない揺れを経験した直後だから、小さいながらも心に変化があったんだろうね。
難しい話は理解できないよねって思ってるのは大人だけで、子供は色んなことを分かってるんだよね。
ああ、そういえばこの頃のチビ太郎はタヌキさんみたいなまん丸お腹だったなあ。
よくふざけてポンポン叩いて遊んでたっけ。
あれから10年近く経った今は、立派なシックスパックです。触ると怒られます・・・寂しい・・・
それから父ちゃん(旦那)の会社に向かう道中で、地震の時はどうしたのか、どう思ったのか聞いてみた。
ショックな経験をした時って、内に秘めずになるべく外に出した方がいいって何かで見たような気がして。
あれが正解だったのかどうかは分かんないんだけれども。
チビ太郎も他の子もやっぱりパニック状態だったらしくて、揺れ始まる直前に自分が何をしてたのか思い出せないみたいだった。
それでも、先生の言うとおりにちゃんと頭を守ってしゃがんだよ、だれだれ君が泣いてたから手を繋いであげたよ、って一生懸命に説明してくれるから、私も一生懸命に話を聞いて褒めてあげた。
すごいねーすごいねーって褒めてたら、オムツを持ったままニコニコしてたっけな。長靴の足をバタバタさせて。
今ではその足は、私のそれよりはるかに大きい。スネ毛も生えてる。触ると怒る・・・
で、渋滞を抜けてようやく父ちゃん(旦那)の会社に到着。
ちょうど外で片付け作業をしてた父ちゃん(旦那)がこっちに気が付いて小走りでやってきた。
「大丈夫だったかチビ太郎!?」
父ちゃん(旦那)もホッとした顔をしてた。
顔を見て、声を聞いて、頭をなでて、プクプクほっぺを触って安心するの。
チビ太郎は父ちゃん(旦那)にも自分の雄姿を語って聞かせて、褒めてほしかったみたいだけど、会社の中も外も物が散乱してて片付けなきゃいけないし、業務もあるしで、簡単に状況を確認して仕事に戻っていった。
その時に知ったけど、父ちゃん(旦那)は一回家に帰ったんだって。すれ違いだったんだね。
家と親が心配で様子を見に行ったらしいの。やっぱり父ちゃん(旦那)も、幼稚園は頑丈だから大丈夫だって思ったみたい。
で、家に帰ったら仕事に行ってるはずの私の車があって、驚いて中に入ったら家中グチャグチャで、呼んでも返事がないから私が何かの下敷きになってるんじゃないかって家中探したみたい。ごめんね。
でも私はいないし、電話かけても繋がらないし、ジイちゃん(舅)家に行ったんだって。
そこで私がバアちゃん(姑)の車を借りて幼稚園に行ったのを聞いて、安心して会社に戻ったと。
あの時は、とにかく電話もメールも繋がらなかった。
誰とも連絡が取れないって恐怖だよね。
便利な世の中に慣れすぎてる。
前はさ、災害の時には玄関に「どこどこに避難してます」って張り紙をすると家族に分かりやすいって言われてたけど、それは空き巣のターゲットになりやすいからダメなんだってね。
じゃあメモをもう1枚用意して、「空き巣へ 貴重品は持ち出したから無いよー!バーカバーカ!」って貼っておいたらどうなるんだろう?
逆上して火でも点けられたら怖いからダメか。却下しよう。
防災ガイドブックには、避難場所のメモは玄関ドアの内側に貼るのがオススメだって書いてあるよ。
んで、その後に職場にも寄って、同僚の無事を確認して臨時閉店の手伝いをして、家に帰ったの。
片付けられないヲンナです
さて、ジイちゃん(舅)家に車を返しに行って、チビ太郎とジジババが無事に再会できたことに皆で喜んで、チビ太郎と一緒に家に帰って・・・
リビングの入り口でしばらく途方に暮れたのよ。
えーと、これ何をどうすればいいんだべか。グッチャグチャにも程があるんだけど。
チビ太郎は、うわーうわー言いながら自分のオモチャを掘り起こしてた。
そして私はとりあえず目の前の物から手をつけた。
外れて倒れたドアを片付けて、移動した家具を戻して、落ちた物を戻して、散乱してるなんだかんだを片付けて拭き掃除して・・・
文字にすると2行で終わる話なのに、私の手にかかると進まないんだわこれが。
昔からね、脳に何らかのアレがあるのか、スピードを求められることができないのよ。
茶わん洗いに40分ぐらいかかっちゃうしね。大真面目に。
急いでやろうとすると、ドンガラガッシャンしちゃうの。
50メートル走は13秒ぐらいです。大真面目に。
何タイプ?って聞かれると、ドンガラガッシャン系って答えるわ。わりと真面目に。
それでパートもクビになったことあるしね。時間かかりすぎて使えないって。
小説も1冊読むのに1ヶ月ぐらいかかっちゃうし、なんなんだろうね。
それで、私はモタモタモタモタしながらリビングを片付け、チビ太郎は掘り起こしたオモチャで掃除のじゃ・・・戦いごっこをし、やっとテレビとコタツ周りがキレイになってきたところで、インターホンが鳴った。
玄関を開けるとジイちゃん(舅)とバアちゃん(姑)が立ってた。
ジイちゃん(舅)家は築50年近くて、砂壁が崩れちゃってて余震が怖いから、うちにしばらく泊めてほしいって。
ジイちゃん(舅)は昔気質の人だから、息子家族の世話になるなんて恥だ、って反対してたらしいんだけど、バアちゃん(姑)が自分が怖くて耐えられないから一緒に来てって一芝居打って連れてきたんだって。
末期ガンのジイちゃん(舅)が地震にショック受けてていつ心労で倒れるか心配で、何かあった時に私たちと一緒にいた方が安心だからっていうのが本当の理由だって、バアちゃん(姑)が私にコッソリ教えてくれた。
もちろん2つ返事でOKして、チビ太郎の相手をジイちゃん(舅)に頼んで、私とバアちゃん(姑)の2人で掃除にとりかかった。
ありがてえ。私だけだと300年ぐらいかかりそう。
それでバアちゃん(姑)に2階の片付けを任せて、私はキッチンに取り掛かった。
その時にキッチンで驚いたことがあったの。うちはヤマハのシステムキッチンなのね。
それの開閉扉?なんていうのアレ?パタパタ観音開きのやつ。あれがね、大きな揺れの時はロックがかかる仕様だったみたいなの。
すでに住んで何年か経ってたのに、初めて知ったよ!すごいなヤマハ!ありがとうヤマハ!
食器が1枚も割れてなかった!!あの揺れの中、全部無事だったの!守ってくれてありがとう!!
そんなわけで、キッチンは炊飯器だったり電子レンジだったり、外に出てた物が床に落ちてるぐらいで、そこまで酷い状態ではなかったんだけれども、1つすごい被害があってね。
幼稚園から色々お便りもらうじゃない?
お便りってすぐ捨てる派?しばらく取っとく派?
私はね、だいぶ先の行事のお便りがくることもあるから、2か月分は取っとく派なの。
で、すぐ取り出して見れるように、冷蔵庫の側面にお便り入れを引っかけてたの。
安いマグネットに引っかけてただけだから、簡単に落ちちゃったんだろうね。
床にお便りが散乱してたから集めて拾ってたの。拾ってるうちに、え?ってなった。
床とシステムキッチンの間にお便りが5~6枚ぐらい挟まってたの。
備え付けのシステムキッチンだよ?上は天井とくっついてて、下は床とくっついてるアレだよ!?
その床とキッチンの間だよ!?
ビックリじゃない!?
つまり、激しくワッサワッサ揺れてる時に床とシステムキッチンの間に隙間ができてて、そこに散らばったお便りの何枚かが挟まっちゃったと。
ビックリだわー。
なんか、「スルっと入っちゃった☆」みたいな入り方してたから、引っ張ったらスルっと抜けるかなぁと思って引っ張ってみたけどビクともしないよ。1ミリも動かないし。
遊びに来た人に見せようと思って、このお便りたちはしばらく挟まったままにしておいた。
そうそう、あとキッチンといえば水道ね。
ずーっと赤茶色い水が出てたなあ。止まらなかっただけありがたかったけどね。
ミネラルウォーターなんて買ったことなかったから、料理は水道水を使うしかなかったんだけれど、浄水用のフィルターがあっという間に2本もダメになっちゃったっけ。
純正の1本4000円もするフィルターでさあ、貧乏性だから8000円が飛んだことが辛かったわ。
買い置きしてあった3本目も厳しくなってきたけど、もう買い置きは無いし、福島には物は入ってこないから、水がチョロチョロしか出ないのは我慢しようってバアちゃん(姑)と話したの覚えてるわ。
浄水モードじゃなければ普通の水量だし、最初は気を遣って茶わん洗いも浄水でやってたけど、そのうち面倒くさくなって普通の水道で洗ってたわ。諦めるの早いわ。
そう!水っていえば!
トイレの便座のフタって閉めます奥さん?閉める?閉めない?閉める?
うちの父ちゃん(旦那)は言っても言っても言っても閉めてくれないの。意地でも閉めないって言われたわ。意味分からん。
何があったかというと、最後に父ちゃん(旦那)が使った2階のトイレが水浸しになってたらしいの。
らしいというのはね、バアちゃん(姑)が片付けてくれたから、私は見てないのよ。
で、慌てて1階のトイレを見に行ったら、フタは閉まった状態で壁も床もキレイだった。
でもフタの内側が濡れてたから、2階のトイレの水浸しの原因は、便器の中の水が激しい揺れで飛び跳ねたんだねって結論になった。
トイレのフタは閉めようね。地震の時に困るからね、片付けがね。
そうそう水っていえば!
その当時マンションに住んでた友達の話で、揺れてる中、赤子を抱きかかえて命からがら階段で外に逃げたんだって。
外に出てみたら、マンションのどっかから水が勢いよく噴き出してて、駐車場も道路も飛び越えた先の家が、ザーザー雨に降られてる状態だったんだって。
それで、もうしばらくはここに住めないなって思ったって。
本当に激しい揺れだったんだね。
もうあんな地震は嫌だよ。
無知は罪
テレビは一応ずっとつけてたけど、片付けに忙しくてほとんど見てなかった。
ジイちゃん(舅)とチビ太郎も絵本を読んだりして遊んでたし、あんまり見てなかったと思う。
あの時の、地震直後のテレビって入手できた映像が少なかったのか、同じ映像を何回も流してなかったっけ?
津波の映像もそんなに衝撃的なものじゃなく、低い波が誰もいない田んぼに流れこんでいる光景を何度も繰り返してたような記憶がある。
だから、甚大な被害っていうものがあんまりピンときてなかったの。
余震で緊急地震速報がしょっちゅう鳴って、その度にチビ太郎とジイちゃん(舅)を守りに行ってたっけ。
私がキッチンとダイニングテーブル周りを片付けてる間に、バアちゃん(姑)は2階全部とお風呂と洗面所の途中まで掃除をやってくれてて、トロくてすいませんノロマでごめんなさいって謝りっぱなしだったなあ。
あの頃のバアちゃん(姑)は、キビキビテキパキしてて頼もしかったっけ。
私が何やらかしても怒らないし、トロくさくてもイライラしないでいてくれるし、いい姑さんだよね。
そのうち父ちゃん(旦那)も帰ってきて、皆で無事を喜んだ。
夜には電話も繋がり始めたから、私の実家ともお互いの無事を確認して一息つけたんだ。
その日の夕飯は、もう疲れ果てて早く休みたかったから、皆でカップラーメンを食べた。
いや、一番疲れてたのはバアちゃん(姑)だとは思いますよ、はい。役立たずですみません・・・
それからお風呂にお湯を汲んだらお湯が真っ茶っちゃで、そのお湯を捨ててもう1回汲んでもまだ茶色かったっけ。
入るの入らないのでケンカしたっけなぁ。
その日は皆、すぐに外に出られる格好で眠ったの。そうした人が多かったよね。
そんな感じで、皆であーだこーだ言いながら騒がしく時間が過ぎていってた。
家の中を片付けて、壊れた箇所を修理すれば終わりだと思ってた。
私も父ちゃん(旦那)もバアちゃん(姑)も、ジイちゃん(舅)の病気のことしか頭になかったから、早く元の生活に戻さなきゃって、それしか考えてなかった。
そんな時の、あのニュース。
ー福島第一原子力発電所の1号機が水素爆発を起こしましたー
テレビの画面には、今ではもう、何度も見慣れたあのシーン。
ー原発が爆発しました!ー
あの時、手に湯飲み茶わんかなにかを持ってなかったかな。父ちゃん(旦那)は帰ってきてなかったかな?帰ってきてたかな?覚えてないや。
「えー、原発爆発したんだって」
「はあー」
こんな感じの会話だった。
遠い所の事故って認識しかなかった。
原発が爆発するって、つまりどういうことなのか全く分かってなかった。
放射能が飛んでくる?
飛んでくるとどうなるの?
ただちに影響はないって?
将来はどうなるの?
知らないって、罪かな?
知らないことは罪?知ろうとしないことが罪?理解ができないことは?
ぼやーっとした感想しかなかった私の目に、テレビの中の人たちが慌ただしく何十キロ圏内はどうの、圏外はどうのって言ってる姿が映ってたけど、それでもまだピンときてなかった。
ここは関係ないよね?大丈夫だよね?ってジイちゃん(舅)たちと話してた。
皆で食い入るようにテレビを見たけど、ただちに影響はないとか、家から出ないで下さいとか、窓を開けないで下さいとか、大変な事態ですとか、影響あるのは狭い範囲ですとか、外から帰ったら花粉を払うように服を払って下さいとか、色んな人が色んなことを言ってて何がなんだか分かんなかったよ。
逃げるべきなのか、それともここにいてもいいのか、混乱した。
そうだ、思い出した。
父ちゃん(旦那)が会社から帰ってきて、福島県から逃げたい人は新潟に行けって会社から言われたって言ったんだ。
新潟に会社のなんかがあるからって。
でも多分、行ったら会社は辞めることになるから、家のローンもあるし俺はここに残る。
不安なら親父たち連れて新潟に逃げてもいいぞって言われて、ああやっぱりそういう状況なんだって怖くなったんだった。
知らないことだらけだった。
嫌でも家族の在り方を考えなければいけなくなった。
知ろうとしてこなかったことだらけだったの。
いつも一緒にいた人の心の内も。
この時は。
つづく
うちげの震災 ~原発から60㎞地点であっぱとっぱ~ ①
災害に大きい小さいってあるのかな?
犠牲者の数とか、倒壊した家屋の数とか、災害のせいで倒産した会社の数とか、1と1000だったら1の方は大したことない扱いになっちゃうのかな。
でもその1に、人の「人生」があるんだよね。
各地で災害が起きるとね、「あの震災より被害は大したことない」とか、「福島の被害に比べれば大したことない」とかいう人がたまにいるんだよね。
それを聞く度に、胸にチリチリとした、怒りとも痛みともつかないものがこみ上げてくるの。
災害に命を奪われた方、大切な誰かを奪われた方、大切な場所を奪われた方、大切な宝物を奪われた方、「当たり前にあったもの」を奪われた、全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。
うちげのサンイチイチ
2011年、3月11日金曜日、午後2時46分。
あの日あの時、あなたは何をしてた?どこにいたの?何を考えてた?
私は竹野内豊を見てた。
※「うちげ」は直訳すると「わたしん家」って意味だよ。「わげ」「おれげ」って言う人の方が多いかも。
「あっぱとっぱした」は「慌てふためいた」みたいな使い方が近いかな?
いつの間にか、あれから10年近くも経ったんだね。あっという間だね。
あの時のことをどのぐらい覚えてる?
私はね、思い出せないことのあまりの多さに自分でビックリしたよ。
あんなに強烈な経験したんだもの、いつまでも覚えてると思ってた。
忘れられるはずがないって。
だけどあの時のことを改めて書き起こしてみようと思った時に、記憶がおぼろげになってることに愕然としたの。
天気も覚えてなかった。
「あの日の大きな揺れの後、雪が降ったよね」って友達に言われて、「え?そうだったっけ?」って。
今でも雪が舞ってた光景を思い出せないの。バカで嫌んなっちゃう。
あの地震の後、それまでどれだけ何も考えずに生きてきたのか、どれだけ無知だったか、自分がどれだけ底の浅い人間だったかを容赦なく突き付けられたよ。
狭い世界で、自分のものさしで生きてた。
あれから色んなことを忘れてきたよ。一生懸命生きてきただけなんだけどな。
あの震災の前ってさ、震度3、4ぐらいの地震が多くなかったかな?
地響きを伴う地震。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・って遠くから聞こえてきて、「あー地震くるわあ」「4くらいかねえ」なんて言ってた。
「最近地震多いねえ」って誰かと話したのを覚えてる。
でもね、福島県民なら一度は誰かに聞いたことがあると思うんだけども。
「福島は地盤固いから大丈夫」
このフレーズ聞いたことないかい?
私は狭い世界で生きてることを自覚してるんだけども、その中で出会った人たちは皆これを言ってたの。
住宅ローンを組む時に、火災保険に地震保険も付けますかって聞かれて、「いやー、福島は地盤固いから付けなくていいですー」「まあ、そうですよねえ(笑)」って銀行で笑い話をしたぐらいだもの。
今考えると、完全にフラグだよね。ええ、保険おりませんでしたよ。入ってないんだもの。
フラグ立てちゃダメよね、自分で。
午後2時46分
あの日は会社に提出しなきゃいけない書類を家に忘れて、お昼休憩に合わせて家に帰ったの。
お客さんが切れるのがちょうど午後2時ぐらいで、2時から3時だったかなあ?2時半から3時半だったかなあ?まあ、だいたいそのぐらいの時間帯で休憩もらうねって言って、家に帰ったの。
コンビニでパスタを買って家に着いて、確かビデオテープだったのかな?よく覚えてないんだけど、竹野内豊さんが出てたトーク番組を録画してたやつがあって、それを見ながらお昼ご飯を食べてたのね。
コタツで。パスタ食べながら。
イケメンだわあ、しかしイケメンだわあ、仕事戻りたくないわあ。しかしパスタうまいわあ。
とかなんとかブツブツ言いながらイケメンを見てた。酪王カフェオレも飲んでた。そしたら、
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・て地鳴りが聞こえてきて。
ああ、また地震か。としか思わずに、そのままモグモグしてた。イケメン見ながら。
この地鳴りは震度4ぐらいはいくかな、とか思ってた。
でも揺れが段々と大きくなってきて、あれ?これちょっと大きくない?と思って。
あの頃の私のガラケーは緊急地震速報は鳴らなかった、って記憶だったんだけど、「思いっきり鳴ってたわ!」って同じ機種を持ってた父ちゃん(旦那)に言われちゃった。ホントに私の記憶力はおんつぁだわ。
ていうか、あの時すでに緊急地震速報って皆の携帯が鳴るようになってたんだっけ?
まぁそれで、揺れが大きくなってきたからテレビをNHKに切り替えたのね。
そしたらテレビ画面にでかでかと、今では見慣れた緊急地震速報の文字と地図。
あらぁ、今日は震度5ぐらいになっちゃうのね、なんて一人でブツブツ言いながら、「家具は頑丈なのがいい!」って父ちゃん(旦那)が言い張って譲らなかった、ちょっとお高い、大きめのコタツに入ったの。もぐったの。
あのコタツを買った時の軽めの言い争いも、物語だとフラグだよね。父ちゃん(旦那)ありがとう。
で、コタツにもぐりながら半笑いで、これは後で職場に戻ったらネタにできるわ、「わたしゃ真面目だから、コタツさもぐったよー」なんて笑い話にしよう、って思ってた。
『緊急地震速報が出たら震度5』っていう思い込みがあったのね。
まさかそれ以上に揺れることがあるなんて思ってもみなかった。
なんていうか、知識としては震度には5以上もあるのは知ってたけど、まさかそれが福島県に、ここに、自分のいるこの場所にくるとは想像もしなかった。
福島県は地盤が固いからそんなに大きい地震がくるわけないって、コタツの中に入ってもまだ思ってた。
でも、暗いコタツの中で私のニヤニヤ笑いはすぐに消えた。
地震の音が思い出せない
ドドドドドだった?ガガガガガだった?ガッシャガッシャだった?
あの揺れの音が全く思い出せないの。
覚えてるのは家中の色んな物が落ちる音、倒れる音、壊れる音、壁の石膏ボードが崩れる音、自分の叫び声。
あの時、いつものようにすぐに収まると思った揺れは、収まるどころか、どんどんどんどん大きくなって、どんどんどんどん激しくなって、誰かが振ってる箱の中にいるような、自分ではどうしようもない強大な力に翻弄されてた。
うちのコタツは赤く光らないタイプで、中は真っ暗なのよ。
狭くて暗い空間でワッシャワッシャ揺られながら、え?え?え?ちょっと、え?マジでなにこ・・・え?なにこれえええええ!!ってパニックになりかけた。
その時ね、北海道出身だった昔の同僚が、大きい地震の時は揺れが収まった後だと電話は繋がらなくなるから、揺れてる最中に電話かけるといいんだよって教えてくれたことを唐突に思い出したの。
確か、最初からガラケーを持ってコタツの中に入ったんだと思うけど、何でだかは覚えてないな。念のためかな。
それで、暗い中で胎児みたいに体を丸めて父ちゃん(旦那)に電話した。
コールが1回、2回、3回鳴って切れた。
もう1回かけた。繋がらない。もう1回、繋がらない。もう1回、もう1回・・・
暗い中で色々考えてた。
こんな時に幼稚園に電話して、もし繋がったらすんごい迷惑だよね。
幼稚園は大丈夫だよね、あんなに頑丈な建物だし、チビ太郎はおそらく大丈夫。
ビビりだから、怖くて先生の指示に従って固まったまま動かないだろうから、絶対大丈夫。
ここにいるより安全だよ。って自分に言い聞かせた。
父ちゃん(旦那)はめっっっちゃ運動神経がいいから、大丈夫だよね。きっと大丈夫。大丈夫なはず。大丈夫に決まってる。なんで電話繋がんないのよ!
このあたりはまだ、グダグダ考えられるだけ気持ちに余裕があったな。
そうしてるうちに激しい揺れが少し収まってきたように感じた。
やっと終わる・・・って少しホッとしたのも束の間、最初のよりも更に激しい揺れがきた。
ゴスン!!ガン!!ドン!!
コタツの外から、家中の物がなにか酷いことになってる音が聞こえた。
怖い怖い怖い怖い怖いこわいこわいこわいこわいよーーーーー!!
また父ちゃん(旦那)に電話かけてみた。やっぱり繋がらない。
チビ太郎!!
幼稚園に電話した。当たり前のように繋がらない。
ゴンドンドスンドカンバッタン・・・
家中の物がひっくり返ってる。とてもじゃないけど外に出て歩けるような揺れじゃない。
真っ暗な中で、何かから隠れるようにひたすら体を丸めてた。
そうしたら、また揺れが収まってきたような気がした。
・・・・・・少し揺れが小さくなってきた?やっと終わる?終わるよね?
今度こそって思った。だけど甘かった。
地球が終わる日
その時、地球が割れるんじゃないかと思った。地球の終わりがきたのかと思った。
そんな大きい揺れが最後にきた。
ガン!ゴン!バン!バタン!ガシャン!
助けてお願いもう終わりにして下さいお願いします神様終わらせて下さいお願いします・・・
理不尽な誰かが、面白がってますます激しく箱を振っているような、そんな錯覚。
そして、パラパラパラ・・・って砂が落ちるような音が聞こえた。
ん?家の中で砂?え?砂?すな?
もしかして壁が崩れてるの!?
ウソ!!この家崩れるの!?
ガアン!!
もの凄い衝撃。私が隠れてるコタツの上に何かが落ちてきた。天井からぶら下がってる照明が落ちたと思った。
もうこの家はダメなのかもしれない。
「チビ太郎ー!!父ちゃーん(旦那)!!父ちゃーん(旦那)!!」
叫んでた。
お父さん(父親)!!お父さん(父親)!!助けて!!
俺は死んだら家族を守るって言ってたんでしょ!!生きてる時に何もしてくれなかったんだから!!今!今!皆を守ってよ!!!
お父さん(父親)!!
あんなに大嫌いだった、亡くなった父親に助けを求めてた。
揺れは果てしなく長く感じた。5、6分は揺らされてたような気がしたよ。
やっと、今度こそ揺れが小さくなってきて、でも完全には止まらずに、ずっとガタガタ小さく家が揺れてた。
安全を確認しながら、恐る恐るコタツから出たの。
そこにはついさっきまで平和だった、いつものリビングの姿はなかった。
さっきまでイケメンが映ってたテレビは、床に転がって背面をこちらに向けてた。
何かの上に置かれてた物は、全て床に落ちてた。
上を見上げると、コタツに落ちてきたと思った照明は無事だった。でもゆーらゆーら見たことないぐらい右に左に揺れてた。
細かく揺れる部屋をグルっと見回すと、東西の壁にヒビが入ってた。南北の壁は無傷。
それぞれの窓枠の4つの角、部屋のドアの角から斜めに壁紙が破れて、中からボードの細かい破片がポロポロ落ちてた。
コタツに覆いかぶさっていたのはドアだった。玄関に繋がるドアが外れてコタツの上の物を潰してた。
キッチンを見ると冷蔵庫が開いていて、半開きのドアがゆらゆら揺れてた。
冷静さを取り戻したつもりだったけど、ずっとパニック状態だったんだと思う。
だって冷蔵庫のドアは閉めたけど、テレビもコタツも消してなかったの。ブレーカーも見に行かなかった。よく火事にならなかったよね。
チビ太郎はオムツはとっくに取れてたけど、渋滞するだろうから、チビ太郎の簡易トイレ代わりに使えるかもしれないと思って、なんとなく捨てられずに取っておいた紙オムツを2枚、それと携帯と財布に鍵の束、それらを小さいトートに入れて家を飛び出した。
外の世界
玄関の鍵だけは、閉めた!閉めた!閉めた!って何回も確認した。
やっぱり外壁にもヒビが入ってたけど、少しだけだった。そのまま視線を下に向けると、土台の下の部分、地面から何センチか茶色く湿ったラインが引かれたようになっていた。
揺れで地面が沈下したんだ。家が傾いたかもしれない。
庭を回って道路に出ると、工事の人?がいた。何の工事をしていたのかは思い出せないんだけど。
「大丈夫ですか!?」
「震度7だって!!」
オジサンはそう言ってどこかに走っていった。
今思うとそれは宮城県の震度だったけど、その時はその情報しかなかったから、「震度7ぁぁっ?」って混乱したまま私も走った。
歩いて3分、走って1分の所に父ちゃん(旦那)の両親が住んでたの。
多分、ジイちゃん(舅)家の玄関の前まで止まらずに走っていったと思う。
家に着いて、ピンポン鳴らすと同時に玄関を開けた。
「大丈夫ですか!!」
「あああ!うたちゃあん!!」
バアちゃん(姑)が半分泣きながら奥の茶の間から出てきた。こっちの家も酷い有様だった。
「ジイちゃん(舅)が全然動こうとしなくて!大丈夫だって言ってきかなくて!」
「余計なこと言ってんな!」
「これは本当に危ないって思って!ジイちゃん(舅)トイレまで引きずってったの!」
「そんなとこまで逃げてっことねえんだ!!大丈夫だったべ!」
ああ、良かった。
ジイちゃん(舅)家の中が、うちげ以上にグチャグチャなこと以外はいつもの光景だってホッとしたのを思い出したよ。
この時うちのジイちゃん(舅)は末期ガンの治療中で、余命宣告をされていたの。
この時はまだ元気だったな。
私がこうやって書いてる、この世界の中ではジイちゃん(舅)はまだ生きてるんだ。
フィクションだったら死なない物語にできるのに。
お互いの家の状況の確認をし合ったり、2人の喧嘩をなだめたりしてたら大きい余震がきて、3人で固まったっけな。
とにかく2人の無事を確認して、小回りがきくバアちゃん(姑)の車を借りたの。
チビ太郎を迎えに幼稚園に行って、その帰りに父ちゃん(旦那)の会社にも寄ってみるって約束して出発した。帰りに職場にも寄ろうと思った。
バアちゃん(姑)の軽自動車に乗って道路に出ると、街の様子にそれほど変わったところは無いように感じたの。最初は。
予想してたより混んでないな、と思いながらいつもの道を走って大きい通りに出ると、やっぱり渋滞してた。
この時、信号が動いてたかどうか覚えてないや。
本当に記憶力がおんつぁでごめんなさい。10段階あるとすると、7ぐらいの渋滞だったかな。
トロトロ進んで止まって、進んで止まって、その間も何回も父ちゃん(旦那)の携帯と幼稚園に電話をかけ続けた。全然繋がらなくてイライラしてきた。
進んで、また止まって、貧乏ゆすりしながら周囲を睨んでたら、前の車の人も後ろの車の人も、なんかワサワサ落ち着きがない動きをしてたの。
なんだべ?って思った瞬間、車がゆっさゆっさ揺れてることにようやく気付いた。
余震だ!!
その時なんでか上を見上げたら、あの道路によくある道案内の青い看板?案内標識?がゆっさゆっさ右に左にすごい勢いで揺れててね。私の車の真上で。
これバキッて折れないよね?脇道もないしUターンもできないよ!って焦ったよ。
結局看板は持ちこたえてくれて、車もまた進んで、今度は大きい橋を通ったの。それまで数えきれないぐらい通ってきた、いつもの橋。
渋滞のトロトロした速度で通り過ぎようとしたら、橋と地面の継ぎ目?の所でガッッッタンって車がすごい音を立てた。結構な段差だった。
地震で継ぎ目がずれたんだ・・・
こんなに大きい橋がずれるなんて、さっきの地震がどれだけ激しい揺れだったか、あらためて実感して怖くなった。
はっと思い立ってラジオをつけた。聞くと繰り返し災害伝言ダイヤルの案内をしてたから、そのダイヤルにかけてみた。繋がらない。
父ちゃん(旦那)と幼稚園と災害伝言ダイヤルに繰り返し繰り返しかけ続けてた。でも1回も繋がらなくて、もう半ベソかいてた。
幼稚園は頑丈だから大丈夫だと思ってたけど、段々と不安で不安でたまらなくなってきた。
チビ太郎はどうしてるかな?泣いてるよね。怖いよね。母ちゃんに会いたいよね。母ちゃんも会いたいよ。早く会いたい。
あの建物は頑丈なはずだよ。先生たちが窓から子供たちを離してるはずだし、あの延長保育の部屋は子供たちの上に落ちてくるような物は何もない。
ああ、でも集団で子供たちがパニックを起こして走り回ってたらどうしよう。
ラジオは何を聞いてたのか思い出せない。覚えてないことばかりでごめんなさい。
確か女の人が話してたと思う。
頭の中は、チビ太郎と父ちゃん(旦那)の安否がどうかばっかりで、ラジオの内容は耳を素通りしている状態だった。
そんな中でスピーカーから流れてくる女の人の声が、相馬で7メートルの津波を観測したこと、それ以上の高さの津波が来ているかもしれないこと、これから来るかもしれないこと、なるべく海から離れた場所、高い場所に避難してほしいって繰り返し言ってるのが頭の中で止まった。
7メートルかぁ、大変だなぁ。7メートル、7メートル・・・ななめえ・・・え?は!?7メートル?人間って何メートルだっけ?
大変なことが起きている。そう思った。
相馬には赤ちゃんの頃のチビ太郎を連れて泳ぎに行ったことがある。波が怖くて大泣きしたっけ。
相馬でそんなに大きい津波ってことは、子供の頃に毎年行ってた双葉海岸は?若い頃、ビキニで真っ黒に日焼けした小名浜の海は?
海といえば、晴天の穏やかな風景しか思い浮かばない。そんな海しか見たことがない。
大変なことが起きている。
それまで以上に怖くなって、それまで以上に渋滞にイライラした。
ゆっくりゆっくり街を進んでいくと、通り沿いの家やお店の中がグチャグチャになってて、険しい顔をしながら片付けてる人が何人もいた。
比較的大きいお店の軒が崩れ落ちてて、店員さんは中で対応に追われてるのか、外には誰もいなかった。
どこからかスピーカーの声がすると思ったら、パトカーが渋滞の車の列の中にいて、「ケガ人はいませんかー!具合が悪くなった人はいませんかー!」ってお巡りさんが繰り返し声を張り上げてた。
15分ぐらいのいつもの道のりに、確か40分はかかったかな。
やっとここまで来た!
そう喜んで細い抜け道に差し掛かった時、道いっぱいに砕けた瓦が散乱していて、思わず急ブレーキを踏んでしまった。
もともと徐行だったから、車はキュッて小さい音を立てて止まった。
どうしよう?引き返す?引き返してもどの道行けばいいんだろう?
迷ってると瓦を片付けてたオジサンが近づいてきて、
「わりいげんちょ、ゆっくり踏んのぼってってくれっかい?(悪いけど、瓦の上をゆっくり通っていってくれるかな?)瓦はもうダメだがら、割っちもいいがら(もし割れても気にしなくていからね)」
もうある程度小さい瓦しかなかったけど、申し訳なくて、「スイマセンスイマセン」って謝りながら通り抜けた。
※後に相馬市では、9.3メートル以上の津波が観測されたと発表されました。
当たり前だと思ってた、月火水木金土日
預かり組の子供たちは、園庭の真ん中に停めた園バスの中にいた。
駐車場で車を降りて、夢中でバスまで走った。バスの乗降口の所にベテランの先生が立ってた。
「せんせえええ!!」
「チビ太郎くんのお母さん!」
先生が私を見て笑顔になったのを見て、 走りながらホッとした。
ベテラン先生は、バスの中にいたもう1人の先生に小声で「チビ太郎くんです」って伝えて、その先生がバスの奥にいるチビ太郎を静かに呼びに行った。
そうか、いつもみたいに大声で呼ぶと、まだ親が迎えに来てない子が泣いちゃうからか。
乗降口から中をのぞくと、上着にフードが付いている子たちはフードを、そうじゃない子は帽子を被らされてた。まだ小さい子たちなのに、誰一人としてフードや帽子を嫌がって取っている子はいなかった。
チビ太郎はモコモコが付いたフードをすっぽり被って目に涙を溜めて、バスの奥からトコ、トコ、トコ、ってゆっくり歩いてきた。
乗降口の階段の上まで来ると、もう1人の先生がチビ太郎をひょいっと抱き上げて、私に抱っこさせてくれた。
ギューッと抱きしめて、「怖かったね、頑張ったね」って声をかけると、チビ太郎は私にしがみついて、「うわああああああ!!」って大声で泣いた。
「偉かったですよ、泣かないで頑張りましたよ」先生が笑顔で褒めてくれた。
先生たちも自分の家族が心配でたまらないだろうに、そんな様子はみじんも見せないの。
頭が下がるよね。
ベテラン先生と、こんなに大きな地震だから津波も尋常じゃない高さになってること、浜通りの被害が凄いだろうし、そっちを優先に色々と支援をしてほしいし、1週間ぐらいは物流も滞るだろうけど、我慢だよねって話をしたのを覚えてる。
そう、1週間ぐらい。そう思ってた。
「お部屋の中がグチャグチャになってて、どれが誰の荷物か分かんなくなっちゃってるんで、荷物はまた月曜日に来た時にお返ししますね」
「はい、分かりました。じゃあまた、月曜に」
「チビ太郎くん、また来週ねー。バイバーイ」
「・・・ばいばい」
思いっきり泣いて落ち着いたチビ太郎は、はにかんだ笑顔でベテラン先生とタッチをした。
また月曜日に。
当たり前にそう思ってた。だけど、その月曜日は来なかった。
つづく