うちげの震災 ~原発から60km地点であっぱとっぱ~②
来てくれてありがとうございます。
もし良かったら、①から読んでくれたらとても嬉しいです。
「うちげ」は「私んち」という意味です。
「あっぱとっぱ」は「慌てふためく」という意味です。
無知は罪
万能アイテム、それはオムツ
ちっちゃい子って、長靴にハマる時期があるよね。
うちのチビ太郎は、震災の前は雨の日も晴れの日も毎日長靴を履いてたの。
この日も長靴を履いていて、私に抱っこされて幼稚園の駐車場に向かう途中に、片方の足から黄色い長靴が脱げて落ちたのを覚えてる。
近くを歩いてた、他の子のお父さんが拾ってくれたっけ。
なんでもない小さな出来事って、いやに鮮明に覚えてたりしない?
幼稚園からの帰り道も予想通りに渋滞してたっけな。
この頃のチビ太郎は、トイレに行きたくなっても漏れる寸前ギリギリまで我慢して遊んでたの。
小さい子ってみんなそうなのかな?
で、真っ赤な顔してトイレに走っていくの。
駐車場でチビ太郎を車に乗せて、今は緊急事態だから道路がすごく混んでること、父ちゃんと連絡がつかなくて心配だから家に帰る前に父ちゃんの会社に寄ること、トイレに行きたくなってもすぐに行けるか分からないことを説明したの。
だから嫌だとは思うんだけど、トイレに行きたくなったら我慢しないでこのオムツにしてねって。
絶対に嫌がるなって思ってたけど、チビ太郎は真剣な顔で分かったって頷いて、オムツを握りしめてチャイルドシートに乗ったんだ。
あの尋常じゃない揺れを経験した直後だから、小さいながらも心に変化があったんだろうね。
難しい話は理解できないよねって思ってるのは大人だけで、子供は色んなことを分かってるんだよね。
ああ、そういえばこの頃のチビ太郎はタヌキさんみたいなまん丸お腹だったなあ。
よくふざけてポンポン叩いて遊んでたっけ。
あれから10年近く経った今は、立派なシックスパックです。触ると怒られます・・・寂しい・・・
それから父ちゃん(旦那)の会社に向かう道中で、地震の時はどうしたのか、どう思ったのか聞いてみた。
ショックな経験をした時って、内に秘めずになるべく外に出した方がいいって何かで見たような気がして。
あれが正解だったのかどうかは分かんないんだけれども。
チビ太郎も他の子もやっぱりパニック状態だったらしくて、揺れ始まる直前に自分が何をしてたのか思い出せないみたいだった。
それでも、先生の言うとおりにちゃんと頭を守ってしゃがんだよ、だれだれ君が泣いてたから手を繋いであげたよ、って一生懸命に説明してくれるから、私も一生懸命に話を聞いて褒めてあげた。
すごいねーすごいねーって褒めてたら、オムツを持ったままニコニコしてたっけな。長靴の足をバタバタさせて。
今ではその足は、私のそれよりはるかに大きい。スネ毛も生えてる。触ると怒る・・・
で、渋滞を抜けてようやく父ちゃん(旦那)の会社に到着。
ちょうど外で片付け作業をしてた父ちゃん(旦那)がこっちに気が付いて小走りでやってきた。
「大丈夫だったかチビ太郎!?」
父ちゃん(旦那)もホッとした顔をしてた。
顔を見て、声を聞いて、頭をなでて、プクプクほっぺを触って安心するの。
チビ太郎は父ちゃん(旦那)にも自分の雄姿を語って聞かせて、褒めてほしかったみたいだけど、会社の中も外も物が散乱してて片付けなきゃいけないし、業務もあるしで、簡単に状況を確認して仕事に戻っていった。
その時に知ったけど、父ちゃん(旦那)は一回家に帰ったんだって。すれ違いだったんだね。
家と親が心配で様子を見に行ったらしいの。やっぱり父ちゃん(旦那)も、幼稚園は頑丈だから大丈夫だって思ったみたい。
で、家に帰ったら仕事に行ってるはずの私の車があって、驚いて中に入ったら家中グチャグチャで、呼んでも返事がないから私が何かの下敷きになってるんじゃないかって家中探したみたい。ごめんね。
でも私はいないし、電話かけても繋がらないし、ジイちゃん(舅)家に行ったんだって。
そこで私がバアちゃん(姑)の車を借りて幼稚園に行ったのを聞いて、安心して会社に戻ったと。
あの時は、とにかく電話もメールも繋がらなかった。
誰とも連絡が取れないって恐怖だよね。
便利な世の中に慣れすぎてる。
前はさ、災害の時には玄関に「どこどこに避難してます」って張り紙をすると家族に分かりやすいって言われてたけど、それは空き巣のターゲットになりやすいからダメなんだってね。
じゃあメモをもう1枚用意して、「空き巣へ 貴重品は持ち出したから無いよー!バーカバーカ!」って貼っておいたらどうなるんだろう?
逆上して火でも点けられたら怖いからダメか。却下しよう。
防災ガイドブックには、避難場所のメモは玄関ドアの内側に貼るのがオススメだって書いてあるよ。
んで、その後に職場にも寄って、同僚の無事を確認して臨時閉店の手伝いをして、家に帰ったの。
片付けられないヲンナです
さて、ジイちゃん(舅)家に車を返しに行って、チビ太郎とジジババが無事に再会できたことに皆で喜んで、チビ太郎と一緒に家に帰って・・・
リビングの入り口でしばらく途方に暮れたのよ。
えーと、これ何をどうすればいいんだべか。グッチャグチャにも程があるんだけど。
チビ太郎は、うわーうわー言いながら自分のオモチャを掘り起こしてた。
そして私はとりあえず目の前の物から手をつけた。
外れて倒れたドアを片付けて、移動した家具を戻して、落ちた物を戻して、散乱してるなんだかんだを片付けて拭き掃除して・・・
文字にすると2行で終わる話なのに、私の手にかかると進まないんだわこれが。
昔からね、脳に何らかのアレがあるのか、スピードを求められることができないのよ。
茶わん洗いに40分ぐらいかかっちゃうしね。大真面目に。
急いでやろうとすると、ドンガラガッシャンしちゃうの。
50メートル走は13秒ぐらいです。大真面目に。
何タイプ?って聞かれると、ドンガラガッシャン系って答えるわ。わりと真面目に。
それでパートもクビになったことあるしね。時間かかりすぎて使えないって。
小説も1冊読むのに1ヶ月ぐらいかかっちゃうし、なんなんだろうね。
それで、私はモタモタモタモタしながらリビングを片付け、チビ太郎は掘り起こしたオモチャで掃除のじゃ・・・戦いごっこをし、やっとテレビとコタツ周りがキレイになってきたところで、インターホンが鳴った。
玄関を開けるとジイちゃん(舅)とバアちゃん(姑)が立ってた。
ジイちゃん(舅)家は築50年近くて、砂壁が崩れちゃってて余震が怖いから、うちにしばらく泊めてほしいって。
ジイちゃん(舅)は昔気質の人だから、息子家族の世話になるなんて恥だ、って反対してたらしいんだけど、バアちゃん(姑)が自分が怖くて耐えられないから一緒に来てって一芝居打って連れてきたんだって。
末期ガンのジイちゃん(舅)が地震にショック受けてていつ心労で倒れるか心配で、何かあった時に私たちと一緒にいた方が安心だからっていうのが本当の理由だって、バアちゃん(姑)が私にコッソリ教えてくれた。
もちろん2つ返事でOKして、チビ太郎の相手をジイちゃん(舅)に頼んで、私とバアちゃん(姑)の2人で掃除にとりかかった。
ありがてえ。私だけだと300年ぐらいかかりそう。
それでバアちゃん(姑)に2階の片付けを任せて、私はキッチンに取り掛かった。
その時にキッチンで驚いたことがあったの。うちはヤマハのシステムキッチンなのね。
それの開閉扉?なんていうのアレ?パタパタ観音開きのやつ。あれがね、大きな揺れの時はロックがかかる仕様だったみたいなの。
すでに住んで何年か経ってたのに、初めて知ったよ!すごいなヤマハ!ありがとうヤマハ!
食器が1枚も割れてなかった!!あの揺れの中、全部無事だったの!守ってくれてありがとう!!
そんなわけで、キッチンは炊飯器だったり電子レンジだったり、外に出てた物が床に落ちてるぐらいで、そこまで酷い状態ではなかったんだけれども、1つすごい被害があってね。
幼稚園から色々お便りもらうじゃない?
お便りってすぐ捨てる派?しばらく取っとく派?
私はね、だいぶ先の行事のお便りがくることもあるから、2か月分は取っとく派なの。
で、すぐ取り出して見れるように、冷蔵庫の側面にお便り入れを引っかけてたの。
安いマグネットに引っかけてただけだから、簡単に落ちちゃったんだろうね。
床にお便りが散乱してたから集めて拾ってたの。拾ってるうちに、え?ってなった。
床とシステムキッチンの間にお便りが5~6枚ぐらい挟まってたの。
備え付けのシステムキッチンだよ?上は天井とくっついてて、下は床とくっついてるアレだよ!?
その床とキッチンの間だよ!?
ビックリじゃない!?
つまり、激しくワッサワッサ揺れてる時に床とシステムキッチンの間に隙間ができてて、そこに散らばったお便りの何枚かが挟まっちゃったと。
ビックリだわー。
なんか、「スルっと入っちゃった☆」みたいな入り方してたから、引っ張ったらスルっと抜けるかなぁと思って引っ張ってみたけどビクともしないよ。1ミリも動かないし。
遊びに来た人に見せようと思って、このお便りたちはしばらく挟まったままにしておいた。
そうそう、あとキッチンといえば水道ね。
ずーっと赤茶色い水が出てたなあ。止まらなかっただけありがたかったけどね。
ミネラルウォーターなんて買ったことなかったから、料理は水道水を使うしかなかったんだけれど、浄水用のフィルターがあっという間に2本もダメになっちゃったっけ。
純正の1本4000円もするフィルターでさあ、貧乏性だから8000円が飛んだことが辛かったわ。
買い置きしてあった3本目も厳しくなってきたけど、もう買い置きは無いし、福島には物は入ってこないから、水がチョロチョロしか出ないのは我慢しようってバアちゃん(姑)と話したの覚えてるわ。
浄水モードじゃなければ普通の水量だし、最初は気を遣って茶わん洗いも浄水でやってたけど、そのうち面倒くさくなって普通の水道で洗ってたわ。諦めるの早いわ。
そう!水っていえば!
トイレの便座のフタって閉めます奥さん?閉める?閉めない?閉める?
うちの父ちゃん(旦那)は言っても言っても言っても閉めてくれないの。意地でも閉めないって言われたわ。意味分からん。
何があったかというと、最後に父ちゃん(旦那)が使った2階のトイレが水浸しになってたらしいの。
らしいというのはね、バアちゃん(姑)が片付けてくれたから、私は見てないのよ。
で、慌てて1階のトイレを見に行ったら、フタは閉まった状態で壁も床もキレイだった。
でもフタの内側が濡れてたから、2階のトイレの水浸しの原因は、便器の中の水が激しい揺れで飛び跳ねたんだねって結論になった。
トイレのフタは閉めようね。地震の時に困るからね、片付けがね。
そうそう水っていえば!
その当時マンションに住んでた友達の話で、揺れてる中、赤子を抱きかかえて命からがら階段で外に逃げたんだって。
外に出てみたら、マンションのどっかから水が勢いよく噴き出してて、駐車場も道路も飛び越えた先の家が、ザーザー雨に降られてる状態だったんだって。
それで、もうしばらくはここに住めないなって思ったって。
本当に激しい揺れだったんだね。
もうあんな地震は嫌だよ。
無知は罪
テレビは一応ずっとつけてたけど、片付けに忙しくてほとんど見てなかった。
ジイちゃん(舅)とチビ太郎も絵本を読んだりして遊んでたし、あんまり見てなかったと思う。
あの時の、地震直後のテレビって入手できた映像が少なかったのか、同じ映像を何回も流してなかったっけ?
津波の映像もそんなに衝撃的なものじゃなく、低い波が誰もいない田んぼに流れこんでいる光景を何度も繰り返してたような記憶がある。
だから、甚大な被害っていうものがあんまりピンときてなかったの。
余震で緊急地震速報がしょっちゅう鳴って、その度にチビ太郎とジイちゃん(舅)を守りに行ってたっけ。
私がキッチンとダイニングテーブル周りを片付けてる間に、バアちゃん(姑)は2階全部とお風呂と洗面所の途中まで掃除をやってくれてて、トロくてすいませんノロマでごめんなさいって謝りっぱなしだったなあ。
あの頃のバアちゃん(姑)は、キビキビテキパキしてて頼もしかったっけ。
私が何やらかしても怒らないし、トロくさくてもイライラしないでいてくれるし、いい姑さんだよね。
そのうち父ちゃん(旦那)も帰ってきて、皆で無事を喜んだ。
夜には電話も繋がり始めたから、私の実家ともお互いの無事を確認して一息つけたんだ。
その日の夕飯は、もう疲れ果てて早く休みたかったから、皆でカップラーメンを食べた。
いや、一番疲れてたのはバアちゃん(姑)だとは思いますよ、はい。役立たずですみません・・・
それからお風呂にお湯を汲んだらお湯が真っ茶っちゃで、そのお湯を捨ててもう1回汲んでもまだ茶色かったっけ。
入るの入らないのでケンカしたっけなぁ。
その日は皆、すぐに外に出られる格好で眠ったの。そうした人が多かったよね。
そんな感じで、皆であーだこーだ言いながら騒がしく時間が過ぎていってた。
家の中を片付けて、壊れた箇所を修理すれば終わりだと思ってた。
私も父ちゃん(旦那)もバアちゃん(姑)も、ジイちゃん(舅)の病気のことしか頭になかったから、早く元の生活に戻さなきゃって、それしか考えてなかった。
そんな時の、あのニュース。
ー福島第一原子力発電所の1号機が水素爆発を起こしましたー
テレビの画面には、今ではもう、何度も見慣れたあのシーン。
ー原発が爆発しました!ー
あの時、手に湯飲み茶わんかなにかを持ってなかったかな。父ちゃん(旦那)は帰ってきてなかったかな?帰ってきてたかな?覚えてないや。
「えー、原発爆発したんだって」
「はあー」
こんな感じの会話だった。
遠い所の事故って認識しかなかった。
原発が爆発するって、つまりどういうことなのか全く分かってなかった。
放射能が飛んでくる?
飛んでくるとどうなるの?
ただちに影響はないって?
将来はどうなるの?
知らないって、罪かな?
知らないことは罪?知ろうとしないことが罪?理解ができないことは?
ぼやーっとした感想しかなかった私の目に、テレビの中の人たちが慌ただしく何十キロ圏内はどうの、圏外はどうのって言ってる姿が映ってたけど、それでもまだピンときてなかった。
ここは関係ないよね?大丈夫だよね?ってジイちゃん(舅)たちと話してた。
皆で食い入るようにテレビを見たけど、ただちに影響はないとか、家から出ないで下さいとか、窓を開けないで下さいとか、大変な事態ですとか、影響あるのは狭い範囲ですとか、外から帰ったら花粉を払うように服を払って下さいとか、色んな人が色んなことを言ってて何がなんだか分かんなかったよ。
逃げるべきなのか、それともここにいてもいいのか、混乱した。
そうだ、思い出した。
父ちゃん(旦那)が会社から帰ってきて、福島県から逃げたい人は新潟に行けって会社から言われたって言ったんだ。
新潟に会社のなんかがあるからって。
でも多分、行ったら会社は辞めることになるから、家のローンもあるし俺はここに残る。
不安なら親父たち連れて新潟に逃げてもいいぞって言われて、ああやっぱりそういう状況なんだって怖くなったんだった。
知らないことだらけだった。
嫌でも家族の在り方を考えなければいけなくなった。
知ろうとしてこなかったことだらけだったの。
いつも一緒にいた人の心の内も。
この時は。
つづく