ふくしまは、今日もそれなりに長閑です

福島県のどこかに住んでいる、平凡な主婦の福島への愛にあふれたブログです

うちげの震災 ~原発から60㎞地点であっぱとっぱ~ ①

災害に大きい小さいってあるのかな?

犠牲者の数とか、倒壊した家屋の数とか、災害のせいで倒産した会社の数とか、1と1000だったら1の方は大したことない扱いになっちゃうのかな。

でもその1に、人の「人生」があるんだよね。

各地で災害が起きるとね、「あの震災より被害は大したことない」とか、「福島の被害に比べれば大したことない」とかいう人がたまにいるんだよね。

それを聞く度に、胸にチリチリとした、怒りとも痛みともつかないものがこみ上げてくるの。

 

災害に命を奪われた方、大切な誰かを奪われた方、大切な場所を奪われた方、大切な宝物を奪われた方、「当たり前にあったもの」を奪われた、全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。

 

 

うちげのサンイチイチ

 

2011年、3月11日金曜日、午後2時46分。

あの日あの時、あなたは何をしてた?どこにいたの?何を考えてた?

私は竹野内豊を見てた。

 

※「うちげ」は直訳すると「わたしん家」って意味だよ。「わげ」「おれげ」って言う人の方が多いかも。

「あっぱとっぱした」は「慌てふためいた」みたいな使い方が近いかな?

 

いつの間にか、あれから10年近くも経ったんだね。あっという間だね。

あの時のことをどのぐらい覚えてる?

私はね、思い出せないことのあまりの多さに自分でビックリしたよ。

あんなに強烈な経験したんだもの、いつまでも覚えてると思ってた。

忘れられるはずがないって。

だけどあの時のことを改めて書き起こしてみようと思った時に、記憶がおぼろげになってることに愕然としたの。

天気も覚えてなかった。

「あの日の大きな揺れの後、雪が降ったよね」って友達に言われて、「え?そうだったっけ?」って。

今でも雪が舞ってた光景を思い出せないの。バカで嫌んなっちゃう。

 

あの地震の後、それまでどれだけ何も考えずに生きてきたのか、どれだけ無知だったか、自分がどれだけ底の浅い人間だったかを容赦なく突き付けられたよ。

狭い世界で、自分のものさしで生きてた。

あれから色んなことを忘れてきたよ。一生懸命生きてきただけなんだけどな。

 

あの震災の前ってさ、震度3、4ぐらいの地震が多くなかったかな?

地響きを伴う地震

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・って遠くから聞こえてきて、「あー地震くるわあ」「4くらいかねえ」なんて言ってた。

「最近地震多いねえ」って誰かと話したのを覚えてる。

でもね、福島県民なら一度は誰かに聞いたことがあると思うんだけども。

 

「福島は地盤固いから大丈夫」

 

このフレーズ聞いたことないかい?

私は狭い世界で生きてることを自覚してるんだけども、その中で出会った人たちは皆これを言ってたの。

住宅ローンを組む時に、火災保険に地震保険も付けますかって聞かれて、「いやー、福島は地盤固いから付けなくていいですー」「まあ、そうですよねえ(笑)」って銀行で笑い話をしたぐらいだもの。

今考えると、完全にフラグだよね。ええ、保険おりませんでしたよ。入ってないんだもの。

フラグ立てちゃダメよね、自分で。

 

午後2時46分

 

あの日は会社に提出しなきゃいけない書類を家に忘れて、お昼休憩に合わせて家に帰ったの。

お客さんが切れるのがちょうど午後2時ぐらいで、2時から3時だったかなあ?2時半から3時半だったかなあ?まあ、だいたいそのぐらいの時間帯で休憩もらうねって言って、家に帰ったの。

コンビニでパスタを買って家に着いて、確かビデオテープだったのかな?よく覚えてないんだけど、竹野内豊さんが出てたトーク番組を録画してたやつがあって、それを見ながらお昼ご飯を食べてたのね。

タツで。パスタ食べながら。

 

イケメンだわあ、しかしイケメンだわあ、仕事戻りたくないわあ。しかしパスタうまいわあ。

とかなんとかブツブツ言いながらイケメンを見てた。酪王カフェオレも飲んでた。そしたら、

 

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・て地鳴りが聞こえてきて。

ああ、また地震か。としか思わずに、そのままモグモグしてた。イケメン見ながら。

この地鳴りは震度4ぐらいはいくかな、とか思ってた。

でも揺れが段々と大きくなってきて、あれ?これちょっと大きくない?と思って。

あの頃の私のガラケー緊急地震速報は鳴らなかった、って記憶だったんだけど、「思いっきり鳴ってたわ!」って同じ機種を持ってた父ちゃん(旦那)に言われちゃった。ホントに私の記憶力はおんつぁだわ。

ていうか、あの時すでに緊急地震速報って皆の携帯が鳴るようになってたんだっけ?

 

まぁそれで、揺れが大きくなってきたからテレビをNHKに切り替えたのね。

そしたらテレビ画面にでかでかと、今では見慣れた緊急地震速報の文字と地図。

あらぁ、今日は震度5ぐらいになっちゃうのね、なんて一人でブツブツ言いながら、「家具は頑丈なのがいい!」って父ちゃん(旦那)が言い張って譲らなかった、ちょっとお高い、大きめのコタツに入ったの。もぐったの。

あのコタツを買った時の軽めの言い争いも、物語だとフラグだよね。父ちゃん(旦那)ありがとう。

で、コタツにもぐりながら半笑いで、これは後で職場に戻ったらネタにできるわ、「わたしゃ真面目だから、コタツさもぐったよー」なんて笑い話にしよう、って思ってた。

 

緊急地震速報が出たら震度5』っていう思い込みがあったのね。

まさかそれ以上に揺れることがあるなんて思ってもみなかった。

なんていうか、知識としては震度には5以上もあるのは知ってたけど、まさかそれが福島県に、ここに、自分のいるこの場所にくるとは想像もしなかった。

福島県は地盤が固いからそんなに大きい地震がくるわけないって、コタツの中に入ってもまだ思ってた。

でも、暗いコタツの中で私のニヤニヤ笑いはすぐに消えた。

 

地震の音が思い出せない

 

ドドドドドだった?ガガガガガだった?ガッシャガッシャだった?

あの揺れの音が全く思い出せないの。

覚えてるのは家中の色んな物が落ちる音、倒れる音、壊れる音、壁の石膏ボードが崩れる音、自分の叫び声。

 

あの時、いつものようにすぐに収まると思った揺れは、収まるどころか、どんどんどんどん大きくなって、どんどんどんどん激しくなって、誰かが振ってる箱の中にいるような、自分ではどうしようもない強大な力に翻弄されてた。

 

うちのコタツは赤く光らないタイプで、中は真っ暗なのよ。

狭くて暗い空間でワッシャワッシャ揺られながら、え?え?え?ちょっと、え?マジでなにこ・・・え?なにこれえええええ!!ってパニックになりかけた。

その時ね、北海道出身だった昔の同僚が、大きい地震の時は揺れが収まった後だと電話は繋がらなくなるから、揺れてる最中に電話かけるといいんだよって教えてくれたことを唐突に思い出したの。

確か、最初からガラケーを持ってコタツの中に入ったんだと思うけど、何でだかは覚えてないな。念のためかな。

それで、暗い中で胎児みたいに体を丸めて父ちゃん(旦那)に電話した。

コールが1回、2回、3回鳴って切れた。

もう1回かけた。繋がらない。もう1回、繋がらない。もう1回、もう1回・・・

 

暗い中で色々考えてた。 

こんな時に幼稚園に電話して、もし繋がったらすんごい迷惑だよね。

幼稚園は大丈夫だよね、あんなに頑丈な建物だし、チビ太郎はおそらく大丈夫。

ビビりだから、怖くて先生の指示に従って固まったまま動かないだろうから、絶対大丈夫。

ここにいるより安全だよ。って自分に言い聞かせた。

父ちゃん(旦那)はめっっっちゃ運動神経がいいから、大丈夫だよね。きっと大丈夫。大丈夫なはず。大丈夫に決まってる。なんで電話繋がんないのよ!

 

このあたりはまだ、グダグダ考えられるだけ気持ちに余裕があったな。

 

そうしてるうちに激しい揺れが少し収まってきたように感じた。

やっと終わる・・・って少しホッとしたのも束の間、最初のよりも更に激しい揺れがきた。

ゴスン!!ガン!!ドン!!

タツの外から、家中の物がなにか酷いことになってる音が聞こえた。

怖い怖い怖い怖い怖いこわいこわいこわいこわいよーーーーー!!

また父ちゃん(旦那)に電話かけてみた。やっぱり繋がらない。

チビ太郎!!

幼稚園に電話した。当たり前のように繋がらない。

 

ゴンドンドスンドカンバッタン・・・

家中の物がひっくり返ってる。とてもじゃないけど外に出て歩けるような揺れじゃない。

真っ暗な中で、何かから隠れるようにひたすら体を丸めてた。

そうしたら、また揺れが収まってきたような気がした。

 

・・・・・・少し揺れが小さくなってきた?やっと終わる?終わるよね?

今度こそって思った。だけど甘かった。

 

地球が終わる日

 

その時、地球が割れるんじゃないかと思った。地球の終わりがきたのかと思った。

そんな大きい揺れが最後にきた。

 

ガン!ゴン!バン!バタン!ガシャン!

 

助けてお願いもう終わりにして下さいお願いします神様終わらせて下さいお願いします・・・

 

理不尽な誰かが、面白がってますます激しく箱を振っているような、そんな錯覚。

そして、パラパラパラ・・・って砂が落ちるような音が聞こえた。

ん?家の中で砂?え?砂?すな?

もしかして壁が崩れてるの!?

ウソ!!この家崩れるの!?

 

ガアン!!

 

もの凄い衝撃。私が隠れてるコタツの上に何かが落ちてきた。天井からぶら下がってる照明が落ちたと思った。

もうこの家はダメなのかもしれない。

 

「チビ太郎ー!!父ちゃーん(旦那)!!父ちゃーん(旦那)!!」

叫んでた。

お父さん(父親)!!お父さん(父親)!!助けて!!

俺は死んだら家族を守るって言ってたんでしょ!!生きてる時に何もしてくれなかったんだから!!今!今!皆を守ってよ!!!

お父さん(父親)!!

 

あんなに大嫌いだった、亡くなった父親に助けを求めてた。

 

揺れは果てしなく長く感じた。5、6分は揺らされてたような気がしたよ。

やっと、今度こそ揺れが小さくなってきて、でも完全には止まらずに、ずっとガタガタ小さく家が揺れてた。

安全を確認しながら、恐る恐るコタツから出たの。

そこにはついさっきまで平和だった、いつものリビングの姿はなかった。

 

さっきまでイケメンが映ってたテレビは、床に転がって背面をこちらに向けてた。

何かの上に置かれてた物は、全て床に落ちてた。

上を見上げると、コタツに落ちてきたと思った照明は無事だった。でもゆーらゆーら見たことないぐらい右に左に揺れてた。

細かく揺れる部屋をグルっと見回すと、東西の壁にヒビが入ってた。南北の壁は無傷。

それぞれの窓枠の4つの角、部屋のドアの角から斜めに壁紙が破れて、中からボードの細かい破片がポロポロ落ちてた。

タツに覆いかぶさっていたのはドアだった。玄関に繋がるドアが外れてコタツの上の物を潰してた。

キッチンを見ると冷蔵庫が開いていて、半開きのドアがゆらゆら揺れてた。

 

冷静さを取り戻したつもりだったけど、ずっとパニック状態だったんだと思う。

だって冷蔵庫のドアは閉めたけど、テレビもコタツも消してなかったの。ブレーカーも見に行かなかった。よく火事にならなかったよね。

チビ太郎はオムツはとっくに取れてたけど、渋滞するだろうから、チビ太郎の簡易トイレ代わりに使えるかもしれないと思って、なんとなく捨てられずに取っておいた紙オムツを2枚、それと携帯と財布に鍵の束、それらを小さいトートに入れて家を飛び出した。

 

外の世界

 

玄関の鍵だけは、閉めた!閉めた!閉めた!って何回も確認した。

やっぱり外壁にもヒビが入ってたけど、少しだけだった。そのまま視線を下に向けると、土台の下の部分、地面から何センチか茶色く湿ったラインが引かれたようになっていた。

揺れで地面が沈下したんだ。家が傾いたかもしれない。

 

庭を回って道路に出ると、工事の人?がいた。何の工事をしていたのかは思い出せないんだけど。

「大丈夫ですか!?」

震度7だって!!」

オジサンはそう言ってどこかに走っていった。

今思うとそれは宮城県の震度だったけど、その時はその情報しかなかったから、「震度7ぁぁっ?」って混乱したまま私も走った。

 

歩いて3分、走って1分の所に父ちゃん(旦那)の両親が住んでたの。

多分、ジイちゃん(舅)家の玄関の前まで止まらずに走っていったと思う。

家に着いて、ピンポン鳴らすと同時に玄関を開けた。

「大丈夫ですか!!」

「あああ!うたちゃあん!!」

バアちゃん(姑)が半分泣きながら奥の茶の間から出てきた。こっちの家も酷い有様だった。

「ジイちゃん(舅)が全然動こうとしなくて!大丈夫だって言ってきかなくて!」

「余計なこと言ってんな!」

「これは本当に危ないって思って!ジイちゃん(舅)トイレまで引きずってったの!」

「そんなとこまで逃げてっことねえんだ!!大丈夫だったべ!」

 

ああ、良かった。

 

ジイちゃん(舅)家の中が、うちげ以上にグチャグチャなこと以外はいつもの光景だってホッとしたのを思い出したよ。

この時うちのジイちゃん(舅)は末期ガンの治療中で、余命宣告をされていたの。

この時はまだ元気だったな。

私がこうやって書いてる、この世界の中ではジイちゃん(舅)はまだ生きてるんだ。

フィクションだったら死なない物語にできるのに。

 

お互いの家の状況の確認をし合ったり、2人の喧嘩をなだめたりしてたら大きい余震がきて、3人で固まったっけな。

とにかく2人の無事を確認して、小回りがきくバアちゃん(姑)の車を借りたの。

チビ太郎を迎えに幼稚園に行って、その帰りに父ちゃん(旦那)の会社にも寄ってみるって約束して出発した。帰りに職場にも寄ろうと思った。

 

バアちゃん(姑)の軽自動車に乗って道路に出ると、街の様子にそれほど変わったところは無いように感じたの。最初は。

予想してたより混んでないな、と思いながらいつもの道を走って大きい通りに出ると、やっぱり渋滞してた。

この時、信号が動いてたかどうか覚えてないや。

本当に記憶力がおんつぁでごめんなさい。10段階あるとすると、7ぐらいの渋滞だったかな。

トロトロ進んで止まって、進んで止まって、その間も何回も父ちゃん(旦那)の携帯と幼稚園に電話をかけ続けた。全然繋がらなくてイライラしてきた。

進んで、また止まって、貧乏ゆすりしながら周囲を睨んでたら、前の車の人も後ろの車の人も、なんかワサワサ落ち着きがない動きをしてたの。

なんだべ?って思った瞬間、車がゆっさゆっさ揺れてることにようやく気付いた。

余震だ!!

その時なんでか上を見上げたら、あの道路によくある道案内の青い看板?案内標識?がゆっさゆっさ右に左にすごい勢いで揺れててね。私の車の真上で。

これバキッて折れないよね?脇道もないしUターンもできないよ!って焦ったよ。

 

結局看板は持ちこたえてくれて、車もまた進んで、今度は大きい橋を通ったの。それまで数えきれないぐらい通ってきた、いつもの橋。

渋滞のトロトロした速度で通り過ぎようとしたら、橋と地面の継ぎ目?の所でガッッッタンって車がすごい音を立てた。結構な段差だった。

地震で継ぎ目がずれたんだ・・・

こんなに大きい橋がずれるなんて、さっきの地震がどれだけ激しい揺れだったか、あらためて実感して怖くなった。

 

はっと思い立ってラジオをつけた。聞くと繰り返し災害伝言ダイヤルの案内をしてたから、そのダイヤルにかけてみた。繋がらない。

父ちゃん(旦那)と幼稚園と災害伝言ダイヤルに繰り返し繰り返しかけ続けてた。でも1回も繋がらなくて、もう半ベソかいてた。

幼稚園は頑丈だから大丈夫だと思ってたけど、段々と不安で不安でたまらなくなってきた。

 

チビ太郎はどうしてるかな?泣いてるよね。怖いよね。母ちゃんに会いたいよね。母ちゃんも会いたいよ。早く会いたい。

あの建物は頑丈なはずだよ。先生たちが窓から子供たちを離してるはずだし、あの延長保育の部屋は子供たちの上に落ちてくるような物は何もない。

ああ、でも集団で子供たちがパニックを起こして走り回ってたらどうしよう。

 

ラジオは何を聞いてたのか思い出せない。覚えてないことばかりでごめんなさい。

確か女の人が話してたと思う。

頭の中は、チビ太郎と父ちゃん(旦那)の安否がどうかばっかりで、ラジオの内容は耳を素通りしている状態だった。

そんな中でスピーカーから流れてくる女の人の声が、相馬で7メートルの津波を観測したこと、それ以上の高さの津波が来ているかもしれないこと、これから来るかもしれないこと、なるべく海から離れた場所、高い場所に避難してほしいって繰り返し言ってるのが頭の中で止まった。

 

7メートルかぁ、大変だなぁ。7メートル、7メートル・・・ななめえ・・・え?は!?7メートル?人間って何メートルだっけ?

 

大変なことが起きている。そう思った。

相馬には赤ちゃんの頃のチビ太郎を連れて泳ぎに行ったことがある。波が怖くて大泣きしたっけ。

相馬でそんなに大きい津波ってことは、子供の頃に毎年行ってた双葉海岸は?若い頃、ビキニで真っ黒に日焼けした小名浜の海は?

海といえば、晴天の穏やかな風景しか思い浮かばない。そんな海しか見たことがない。

 

大変なことが起きている。

 

それまで以上に怖くなって、それまで以上に渋滞にイライラした。

ゆっくりゆっくり街を進んでいくと、通り沿いの家やお店の中がグチャグチャになってて、険しい顔をしながら片付けてる人が何人もいた。

比較的大きいお店の軒が崩れ落ちてて、店員さんは中で対応に追われてるのか、外には誰もいなかった。

どこからかスピーカーの声がすると思ったら、パトカーが渋滞の車の列の中にいて、「ケガ人はいませんかー!具合が悪くなった人はいませんかー!」ってお巡りさんが繰り返し声を張り上げてた。

 

15分ぐらいのいつもの道のりに、確か40分はかかったかな。

やっとここまで来た!

そう喜んで細い抜け道に差し掛かった時、道いっぱいに砕けた瓦が散乱していて、思わず急ブレーキを踏んでしまった。

もともと徐行だったから、車はキュッて小さい音を立てて止まった。

どうしよう?引き返す?引き返してもどの道行けばいいんだろう?

迷ってると瓦を片付けてたオジサンが近づいてきて、

「わりいげんちょ、ゆっくり踏んのぼってってくれっかい?(悪いけど、瓦の上をゆっくり通っていってくれるかな?)瓦はもうダメだがら、割っちもいいがら(もし割れても気にしなくていからね)

もうある程度小さい瓦しかなかったけど、申し訳なくて、「スイマセンスイマセン」って謝りながら通り抜けた。

 

※後に相馬市では、9.3メートル以上の津波が観測されたと発表されました。

当たり前だと思ってた、月火水木金土日

 

預かり組の子供たちは、園庭の真ん中に停めた園バスの中にいた。

駐車場で車を降りて、夢中でバスまで走った。バスの乗降口の所にベテランの先生が立ってた。

 

「せんせえええ!!」

「チビ太郎くんのお母さん!」

 

先生が私を見て笑顔になったのを見て、 走りながらホッとした。

ベテラン先生は、バスの中にいたもう1人の先生に小声で「チビ太郎くんです」って伝えて、その先生がバスの奥にいるチビ太郎を静かに呼びに行った。

そうか、いつもみたいに大声で呼ぶと、まだ親が迎えに来てない子が泣いちゃうからか。

乗降口から中をのぞくと、上着にフードが付いている子たちはフードを、そうじゃない子は帽子を被らされてた。まだ小さい子たちなのに、誰一人としてフードや帽子を嫌がって取っている子はいなかった。

 

チビ太郎はモコモコが付いたフードをすっぽり被って目に涙を溜めて、バスの奥からトコ、トコ、トコ、ってゆっくり歩いてきた。

乗降口の階段の上まで来ると、もう1人の先生がチビ太郎をひょいっと抱き上げて、私に抱っこさせてくれた。

ギューッと抱きしめて、「怖かったね、頑張ったね」って声をかけると、チビ太郎は私にしがみついて、「うわああああああ!!」って大声で泣いた。

「偉かったですよ、泣かないで頑張りましたよ」先生が笑顔で褒めてくれた。

 

先生たちも自分の家族が心配でたまらないだろうに、そんな様子はみじんも見せないの。

頭が下がるよね。

ベテラン先生と、こんなに大きな地震だから津波も尋常じゃない高さになってること、浜通りの被害が凄いだろうし、そっちを優先に色々と支援をしてほしいし、1週間ぐらいは物流も滞るだろうけど、我慢だよねって話をしたのを覚えてる。

そう、1週間ぐらい。そう思ってた。

 

「お部屋の中がグチャグチャになってて、どれが誰の荷物か分かんなくなっちゃってるんで、荷物はまた月曜日に来た時にお返ししますね」

「はい、分かりました。じゃあまた、月曜に」

「チビ太郎くん、また来週ねー。バイバーイ」

「・・・ばいばい」

思いっきり泣いて落ち着いたチビ太郎は、はにかんだ笑顔でベテラン先生とタッチをした。

 

また月曜日に。

 

当たり前にそう思ってた。だけど、その月曜日は来なかった。

 

                                    つづく